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書道の疑問

春曉        しゅんぎょう              

春眠不覺曉   しゅんみん あかつきをおぼえず 
                                  
處處聞啼鳥   しょしょ ていちょうをきく

夜來風雨聲   やらい ふううのこえ

花落知多少   はなおつることをしる いくばくぞ


春の眠りの心地よさに、目覚めれば、
知らぬまに夜が明けていて
ここかしこから鳥の声が聞こえてくる。
ゆうべきいたあの風雨で、
いったい花はどれほど散ったかしら。


 これは孟浩然(もうこうねん)の「春暁」という漢詩です。

 習字を習っている人なら、一度は条幅(じょうふく)という、画仙紙を縦半分にした半切の大きさの紙に書いたことがあるのではないでしょうか。

 これが先ず、疑問なんですね。

 確かに書道は文字の美を競うものです。漢詩を美しく仕上げて軸物にしたり、額縁に入れて 展覧会に出品したりと、作品としての立派さはよく分かります。

 しかし、私の頭だと、訓読みにして、意訳を付けないと意味が分からないのですね。書くだけで、読めもせず、訳も分からずじゃあ情けないと思います。


 それから、漢字という以前に、それが読めないという文字があります。

甲骨文(こうこつぶん)、篆書(てんしょ)、隷書(れいしょ)、草書(そうしょ)、行書(ぎょうしょ)、
楷書(かいしょ)、仮名

 これらは抽象的な表現からはじまって、字画を持ち、速書き、省略体、まっすぐな字画の配置など、それぞれに特徴があります。楷書以外は読めません。


 このように書体の種類もさることながら、漢詩が読めないというのは、書道を学んでいても致命的な問題と感じています。

 書道の書は美術なのか、教育なのか、文学なのか…。

 そのどれも追求し損ねたまま、いまだにお手本を写すだけという手習いをしています。これでいいのでしょうかね。


 大人になったら、疑問は自ら解明することは大事です。面倒臭いし、時間はかかるし、本は老眼で読みづらくなってきてはいますが、ここは人生終盤にして成せば成るを実践する時です。衰えつつある脳と視力への挑戦かもしれません。


 大人の宿題を自ら出してどうするのかとも思いますが、少しは調べて見ることにしましょう。


 
by arrive_at | 2007-07-02 12:06 | 漢文修業

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by arrive_at