チェオクの剣 第14話「チェオクの最期」 最終回 その2
2006年 10月 25日
「チェオクの剣」の放送が終わって10日以上過ぎてしまいましたが、その間心の旅に出ていた私は、再び最後の宿題に向かっています。
近所の比較的大きな駅前のTSUTAYAでは、未だにこのDVDがたくさん貸し出されているようです。
最終章のテレビ放送はかなりカットされているようで、時間制限があるとはいえ、後で詳しいあらすじを追ってみると、ピョンテクがチェオクをかばったり、ユンたちには打つ手もなく、最後の手段として国王に直訴するしかないという苦悩があったり、ナニがお妃選びに出かけるのをユンやチェオクたちが見送ったりのシーンはカットされていたようです。
ユンがソンベクに討たれ、荼毘にふされるというシーンもカットだったようで、話のつながりがギクシャクしてはいますが、チェオクがユンへの忠誠を再び燃え立たせるという理由もそのためかはっきりとはわかりませんでした。
ソンベクというのは大変人気のある役です。世直しのカリスマであり、自分の信じる正義の為に時には非道な事もします。ワイルドでありながらピュアであり、ましてチェオクと出逢ったことで何度も自分の生き方に戸惑いを感じながら、それでも正義の為に自ら犠牲になるという、ダーティーでありながら魅力のある役がらです。このソンベクの表情は結構絵になるのではないでしょうか。
最後のソンベクがチェオクとの竹林での戦いのシーンも、子どもの頃にチェヒと別れる回想シーンも残念ながらカットされているようで、盛り上がりに欠ける編集だったのは問題です。
しかし、このドラマのテーマの一つである「縁」というものが貫かれているところは、時代が違う今でも考えさせられるところが多いと思います。
チェオクとユンの身分による道ならぬ恋、チェオクとソンベクの幼い頃に生き別れ、再会は敵同士だという非情な運命、その他の人々が時代の闘争に巻き込まれながらも自分の正義に命をかけるという生き様は、人がこの世に生きるということの困難さをつくづく感じさせます。
ユンが「チェオク、縁とは出会ったときに問うものではなく、終わるとき問う様だ。ありがとう、最後まで共に過ごす縁を与えてくれて」というシーンでは、やはり人の世は「縁」というものが存在すると思えてなりません。
アジアの宗教観とでも言うのでしょうか。仏教に限らず、人との縁というものを大切にして生きてきた歴史が、現代の私にも強く感じられます。「縁」とは一体なんでしょうか。
最後の展開は戦闘シーンも多く、国王は捕らえられ、黒幕は死に、主人公の一人のユンは息絶え、チェオクとソンベクの兄妹の名乗りを上げるときにはお互いに致命傷を負い、ソンベクではないけど「私のこの世の生はここまでだ。」と言わしめるほど壮絶でした。
悲劇、悲恋、宿命のドラマでしたが、可哀想なだけではなく、反対に人は強い意思と夢や希望を持って生きていかざるをえないという、心の強さを強調したストーリーではなかったかと思います。
人間って一体なんだろうね。
今日の言葉
ソンベク「私を動かすのは私の心だけだ。」
人は夢に向かって生きていけるのでしょうか。そして理想の為に死ねるのでしょうか。
完
(画面をクリックすると大きくなります)
近所の比較的大きな駅前のTSUTAYAでは、未だにこのDVDがたくさん貸し出されているようです。
最終章のテレビ放送はかなりカットされているようで、時間制限があるとはいえ、後で詳しいあらすじを追ってみると、ピョンテクがチェオクをかばったり、ユンたちには打つ手もなく、最後の手段として国王に直訴するしかないという苦悩があったり、ナニがお妃選びに出かけるのをユンやチェオクたちが見送ったりのシーンはカットされていたようです。
ユンがソンベクに討たれ、荼毘にふされるというシーンもカットだったようで、話のつながりがギクシャクしてはいますが、チェオクがユンへの忠誠を再び燃え立たせるという理由もそのためかはっきりとはわかりませんでした。
ソンベクというのは大変人気のある役です。世直しのカリスマであり、自分の信じる正義の為に時には非道な事もします。ワイルドでありながらピュアであり、ましてチェオクと出逢ったことで何度も自分の生き方に戸惑いを感じながら、それでも正義の為に自ら犠牲になるという、ダーティーでありながら魅力のある役がらです。このソンベクの表情は結構絵になるのではないでしょうか。
最後のソンベクがチェオクとの竹林での戦いのシーンも、子どもの頃にチェヒと別れる回想シーンも残念ながらカットされているようで、盛り上がりに欠ける編集だったのは問題です。
しかし、このドラマのテーマの一つである「縁」というものが貫かれているところは、時代が違う今でも考えさせられるところが多いと思います。
チェオクとユンの身分による道ならぬ恋、チェオクとソンベクの幼い頃に生き別れ、再会は敵同士だという非情な運命、その他の人々が時代の闘争に巻き込まれながらも自分の正義に命をかけるという生き様は、人がこの世に生きるということの困難さをつくづく感じさせます。
ユンが「チェオク、縁とは出会ったときに問うものではなく、終わるとき問う様だ。ありがとう、最後まで共に過ごす縁を与えてくれて」というシーンでは、やはり人の世は「縁」というものが存在すると思えてなりません。
アジアの宗教観とでも言うのでしょうか。仏教に限らず、人との縁というものを大切にして生きてきた歴史が、現代の私にも強く感じられます。「縁」とは一体なんでしょうか。
最後の展開は戦闘シーンも多く、国王は捕らえられ、黒幕は死に、主人公の一人のユンは息絶え、チェオクとソンベクの兄妹の名乗りを上げるときにはお互いに致命傷を負い、ソンベクではないけど「私のこの世の生はここまでだ。」と言わしめるほど壮絶でした。
悲劇、悲恋、宿命のドラマでしたが、可哀想なだけではなく、反対に人は強い意思と夢や希望を持って生きていかざるをえないという、心の強さを強調したストーリーではなかったかと思います。
人間って一体なんだろうね。
今日の言葉
ソンベク「私を動かすのは私の心だけだ。」
人は夢に向かって生きていけるのでしょうか。そして理想の為に死ねるのでしょうか。
完
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by arrive_at
| 2006-10-25 14:00
| チェオクの剣