不倫王国のフランスと何度も書いておきながら、それらは本の受け売りでしかありません。それでは何故不倫王国なのかと不思議に思っていましたら、またもや本の受け売りとはいえ、じっくり読むとそうかなるほどというようなものを得ました。
それにしても、我が家にもフランスのブランド品の一つくらいはあるものですが、こういった有名なものをどのようにとらえるかという、日本とフランスの違いも興味深いですね。
たとえばルイ・ヴィトンなる革製のバッグや財布などですが、こういったものは海外旅行のついでに買ってくると多少は安くなると思っていましたが、もともと私の場合はたいしたものを買うわけではありませんので、このブランドの製品を誤解していました。
「フランス生まれ―美食、発明からエレガンスまで」
早川雅水(はやかわ まさみ)著 集英社新書 660円 2002年3月20日
上記の本の中からの抜粋です。
ルイ・ヴュイットン
日本でもっとも知られているフランス・ブランド。ボンジュールやメルシーは知らなくてもヴュイットンは知っているというのだから大変なものだ。
ルイ・ヴュイットンは創始者の氏名。フランスではブランド名、商品名、レストラン名などに創始者の氏名をそのままつけることが多い。
ヴュイットン氏は船旅用のマル―トランク・行李(こうり)―を作ろうとのアイデアが彼の頭に浮かぶ。汽車の旅のつぎには船旅のブームが来ることを予想してのアイデアであった。
1970年代までにヴュイットン氏はスペイン王、エジプトのスルタン、ヨーロッパじゅうの大貴族、大ブルジョワを顧客として獲得し、最初の海外支店をロンドンに開く。
フランスの男性の目にはヴュイットンは非常に女性的に見えるらしく、そんなの恥ずかしくて持てるかよ、ということのようだ。
《ヴュイットンのブチックに並んでいる日本人やアメリカ人を見ると笑いたくなるね。ヴュイットン級のブランド品は並んで買うものじゃない、家なりホテルなりに届けさせるものさ…》
多くの日本人はルイ・ビトンと言う。正しくはルイ・ヴュイットンである。念のため。
あっはっは。こういった蘊蓄(うんちく)を読んだ後ではなんだかどうだ~というような気がしてきます。それがにわか知識であっても。
先日読んだばかりのコメディ小説
「くそったれ、美しきパリの12か月」
スティーヴン・クラーク 村井智之訳
ソニー・マガジンズ 1700円
2006年1月20日初版
これにしても、イギリス人男性がヘッドハンティングでフランスに来て、寝るところに困り、カフェでの注文で困り、浮気で困り、なんだかモラルが180°ひっくり返ったような不条理に悩まされながらも、最後は逆転ホームランかと思わせるようなパリ修行が書かれています。
とくにイギリス人の男女の関係とフランスでの違いはもう何と言ったらいいのか、考え方を根こそぎ変えられるほどの違いだそうで、私などは日本人はまだ英国人に近いのだろうなと思ってしまったりもしました。
そんな感じでフランスの文化や風習の違いを見ていましたら、またもや図書館で偶然に面白いパリ風物誌のような本に出会いました。
「エコール・ド・パリの日本人野郎 松尾邦之助交友録」
玉川信明 著 社会評論社 3200円 2005年11月20日初版
1922年(大正11年)松尾邦之助は東京外語フランス語文科卒業後、半年後にパリに留学します。静岡県引佐(いなさ)郡に生まれ、森の石松のように人情味あふれる人で、呉服商の父親は酒飲みの道楽ものでありながら、永井荷風の『ふらんす物語』を読んで、息子をパリに留学させるのを怖がった。
現在のパリ大、当時のソルボンヌ大学政治学部へと留学をしたが、ホームシックにかかり、彫刻家佐藤朝山と出会って二晩放蕩を続けたおかげでホームシックと孤独を脱するが、すぐにお金を使い果たして貧乏な生活をずっと続ける。
パリの日本人の知り合った人の世話で社会の底辺で働くが、そのうちにパリの日本人会の書記の仕事にめぐり合い、留学中の日本人ともたくさん出会う。
その中には藤田嗣治もいて、彼の波乱万丈、努力の末にフランスで認められるようになったころの出会いという。
当時の日本人留学はドイツ、英国、米国などで政治や経済を学ぶ人が多く、フランスには画家の留学が多かったそうだ。
藤田、佐藤以外にも、戸田海笛、佐伯祐三、小磯良平、大久保作次郎、岡見富雄、岡本太郎、大森啓助、小島善太郎、東郷青児、宮田重雄、向井潤吉、野口弥太郎、小山敬三、伊原宇三郎などモンパルナスに集まっていた。
松尾は「東洋の会」で知り合ったスタイニル・ベル・オーベルランの協力により、1927年に『其角の俳偕(きかくのはいかい)』を共同翻訳し出版する。日本文化を理解するフランス人との出会いだった。
そういった松尾邦之助の経緯を著者である玉川信明が読みやすく書いたものが本書です。
第1章のタイトルは「では、陰気でうじうじした日本よ、さようなら」です。のっけから日本を陰気でうじうじしたというあたりがなんだかすごそうです。これって、JR東海の京都キャンペーン「そうだ 京都、行こう。」よりもすごいコピーですね。日本よ、さようならって…。
エコール・ド・パリというのを1921年から1929年までの様子を松尾が感じただろう時代を取材していますが、当時は1914年に第1次世界大戦がはじまり、1918年に1次大戦が終わったばかりで、その後の世界恐慌まではパリは平和と繁栄を極めており、その当時の赤貧も何とかなるさとばかりに、日本からの留学生のフランスデビューを語っています。
とくに松尾の個人主義(インディヴィデュアル)アナーキズムという思想については辻潤を師と仰ぎ、フランスのアン・リネルの考え方に共鳴し、今でいう世界に広がりつつある個人主義のもとになるフランスの場合の個人主義というものの本質をとらえているように思います。
のちに松尾は日本を「この国ではとうてい精神(エスプリ)などというものは吸収されないし、まして、人間倫理に根ざした個人主義のイロニイなど、通じようもないのである」としています。
近代の日本が歩む先を見つけに行ったのか、それとも世界の果てまで行ったのかはわかりませんが、当時のパリで生活をしながら吸収した思想が語られています。
国家とか集団にとらわれていては個人主義というものの根本は今でも見えないと思いますが、それでも儒教や明治以降の国民道徳観念がぶっ飛んできた時代ですので、今という時代がかつてのエコール・ド・パリ=パリ派(抽象、シュルレアリズム)を意識せずに近づいたりそれを追い越したりしている時代になってきたのでしょうか。
日本人が日本を知ってから世界を理解するというのは、時代という時間と何人もの人を介して少しずつ進むという気がしますが、それでも一個人がどれだけ自己を知って自己を育てているのかは疑問です。
たまにはこういった本を読むことで客観的な目を養いながら、主観的な人生のよすがにしたいものです。