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モスクワ地下鉄連続爆発

 2010年3月29日、モスクワ市内を走る地下鉄の2駅で29日朝、連続した爆発があり、ロシアの緊急事態省によると、爆発で少なくとも35人が死亡、40人が負傷。爆発は最初にルビャンカ駅で発生、約30分後に同じ路線のパルククリトゥーリ駅で起きた。


 今回の私のパリ旅行はモスクワ経由です。テロはどこででも起こり得ると心得ておいた方がいいのでしょう。

 ロンドン、パリ、ローマ、モスクワ、ヨーロッパの大都市は危険なのは分かっています。

 それでも行きますよ~。
# by arrive_at | 2010-03-29 23:22 | パリに行こう

とどのつまり

 以前に紹介した本ですが、やはりフランスについて書く人は違いますね~。

 「フランス生まれ」―美食、発見からエレガンスまで

 早川雅水著  集英社新書 660円 2002年3月20日


 フランスについての蘊蓄(うんちく)がすごいので、しばらくお休みしていましたが再び読みました。

 フランス人の気質は強烈で、皮肉や悪口雑言に夢中になる。日本人には手に負えない人種である。という風に書かれています。なんだか手ごわそうな人々に思えてきますね。

 しかし、一番ビビったのは「エレガンス」についての最後の文章です。

 語源はラテン語のエレガンシア。長い歴史と共に洗練されて行ったようで、エレガンスは寛容、愛、自由などと共にフランスではもっとも評価される最高善で、その意味は深いのだそうです。

 日本ではエレガンスを、モード(ファッション)、容姿、容貌などの目で見えるものにしか使いませんが、フランスでは心眼で感じ取る部分も含めて、えもいわれぬ魅力こそがエレガンスなのだそうです。

 筆者はエレガンスという語が似合うフランス人をかなり知っているそうです。彼らはいったいどこでエレガンス教育を受けたのか?

 それは一にも二にも家庭だそうです。

 《 ビアン・ネルヴェ―育ちがいい― 》と評価するということだそうです。

 家庭での躾けは挨拶や言葉遣いなどのマナーだけでなく、インテリア、モード(ファッション)などのセンス、味覚、社交術、美術、音楽の教養も家庭で養われるのだそうです。

 最後に、著者の2002年に92歳になるお母上もエレガンスを感じさせる方の一人だそうです。なるほど、この年齢の方で慶応大学、パリ大学の研究員などをされた筆者というだけで、なにやら優雅なおぼっちゃまという気もしないでもありません。


 最後には、優雅な家庭に育った者にこそフランスのエレガンスというものが感じられるという、高いところからの目線をちらりと感じました。

 本は大変素晴らしいものですし、読みごたえもありました。

 私の知らないものといえば、あとは貴族階級や社交界という特権階級が作りだしたフランスの歴史と文化でしょうか。


 私自身があまりにも庶民過ぎて、もうついてけませんねぇ~(笑)。

 しかし、勉強は勉強ですから、いちいち反応していないでしっかりと調べたいと思います。
# by arrive_at | 2010-03-24 19:51 | パリに行こう

パリに行きます

 やっと準備が整い、春にはパリに行きます。

 最近はルーブル熱も冷めかけていましたが、やっとチャンスが来ましたので、これから約1カ月の間に美術のおさらいです。

 最初は西洋美術史からでしょうか。目を通しておかないと、時代別の展示物が何かさっぱりわからないのもくやしいですからね。

 
# by arrive_at | 2010-03-05 22:39 | パリに行こう

プチブルジョワは小市民のこと

 19世紀末のベル・エポック、そして20世紀前半のエコール・ド・パリとパリの華やかな文化がアメリカ特にニューヨークに移って行った頃の様子がだんだんとわかってきました。

 やはり英国の産業革命以降の近代化から現代にいたるまでの変化は、たいへん興味がありますし、もっと勉強したいなあと思わせるところです。

 ブルジョワという言葉がフランスではよく使われますが、日本でも身分制度のあった時代、そしてそれが廃止された今でも人々の心にはまだまだ階級制度の偏見が無くなっているとは思えません。安田財閥の孫がオノ・ヨーコだとか、まだまだそういった見方をしてしまうという、人間はヒエラルキーには弱いようです。


 途中ですが、後半17分以降ベルバトフやギブソン投入も全然ゴールが決まりません。ゲームのほうはかなり緊迫していますが、見ているほうはだらけてしまって、もう、マンUは必死でルーニーなどはディフェンスしていたりしますが、どうも今日はゴールしないような気がします。せめて1ゴール決めてドローであってほしいところですが。

 ロスタイムにはヴィヂッチにゴール前に入れというファーガソンの指令ですが、近頃はMFがDFへ、DFがFWへといろいろと非常事態宣言を出しているような感じです。それはそうと、ベルバトフが床屋で髪を切ったのはなかなか男前になった感じがします。それくらいしか今日は見所が無いというか…。

 あ~あ、マンUは負けました~。ファンも呆然としていますが、ここはアストンヴィラの好試合をほめるべきでしょう。またもやチェルシーとの差が3に広がりましたね。










 


 話は元に戻って、今の日本の状態はどうかなとと考えますと、第2次世界大戦後64年が経っていますが、その間に戦争は無いし、他国からの侵入もないし、せいぜい経済危機が何度か訪れては持ち直して、国民全体は生活が豊かになり、衛生状態は良くなり、治安は何事もなくピストルなど持たなくても生活できますし、教育水準は理想的なほど上昇しています。

 これをブルジョワ化と言わずして何と呼ぶのでしょうか。

 しかもヨーロッパのような貴族というものを知らない小市民ですから、経済の発展により生活が豊かにはなりましたが、自立した生活思想など知る由もなく、とにかくお金に振り回され、大消費時代に乗せられて生き方も生活の質も商業主義に騙されながら消費が拡大してきたと思います。

 今の中国の成金市民の行動に似たところでしょうか。それのどこが悪いと言われたら何も言えませんが、それでもそのプチブルへと走る行動力は実質的な生活の向上と社会秩序がゆるむという、緊張感も精神も価値が無くなっていくような時代ではないかと思います。物資の豊富さなどは人間を考えさせなくなりますから、それこそアイデアもでなくなり情熱を持って追究するというような面倒くさいことを誰もしなくなります。

 切り開いて行くという余地が無くなっていくのでしょうか。なんだか、恵まれた状況がもたらすマイナス面が広がってしまって、足るを知るというような「知足」という英知にも気付かないのでしょうね。

 誰かがこれは良いと言う。それをよく考えずにそのまま鵜呑みにする。隣人と自分を見比べて同じでないと安心しない。そんな小市民が堂々と反省もないままにつき進んでいくという、1億総白痴とか言われたとしてもなんだかうなずけるような気がします。


 

1億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一がテレビの急速な普及を背景に生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いが強い。

元々は、1957(昭和32)年2月2日号の「週刊東京」(その後廃刊)における、以下の詞が広まった物である。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言ってよい。

又、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。ここでも、作家の松本清張が、「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べている。

このように、当時の識者たちは、テレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には、書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと考えられる。

書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、その為には文字が読めなければならないし、内容を理解する為に自分の頭の中で、様々な想像や思考を凝らさねばならない。

これに対して、テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れて来る音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考力を低下させるといった事を指摘しているようである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






 要するにものが分かる人は少なく、わからない人が社会の流れを作る要素が大きく、さらにわからない人がそれは正しいと信じて疑わないので、それを逸脱する人を落ちこぼれなどと差別するという感じでしょうか。

 隣もそのまた隣も自分と同じということのつまらなさ、それに気づかないセンスのなさ、自己の認識と自分でその価値を決めることのできる力、そういうことが大事だと思って実践する人は少ないのでしょう。

 受験勉強だけで人生の質も含めてすべてが決まると思ったらそれは違うでしょう。人間には生きる感性が大きく影響しますから、その感性を裏付けるためにも論理的に思想的な説明をすることができるくらい日常を拡大して観察し、理解することが大事かもしれません。

 まあ、TVですべてがわかるなんて思わないことですか~。

 ニュースとスポーツ中継だけは注目しますが。
# by arrive_at | 2009-12-13 10:41 | パリに行こう

フランスを知らなかった

 不倫王国のフランスと何度も書いておきながら、それらは本の受け売りでしかありません。それでは何故不倫王国なのかと不思議に思っていましたら、またもや本の受け売りとはいえ、じっくり読むとそうかなるほどというようなものを得ました。

 それにしても、我が家にもフランスのブランド品の一つくらいはあるものですが、こういった有名なものをどのようにとらえるかという、日本とフランスの違いも興味深いですね。
 
 たとえばルイ・ヴィトンなる革製のバッグや財布などですが、こういったものは海外旅行のついでに買ってくると多少は安くなると思っていましたが、もともと私の場合はたいしたものを買うわけではありませんので、このブランドの製品を誤解していました。

 「フランス生まれ―美食、発明からエレガンスまで」
早川雅水(はやかわ まさみ)著 集英社新書 660円 2002年3月20日

 上記の本の中からの抜粋です。




ルイ・ヴュイットン

 日本でもっとも知られているフランス・ブランド。ボンジュールやメルシーは知らなくてもヴュイットンは知っているというのだから大変なものだ。

 ルイ・ヴュイットンは創始者の氏名。フランスではブランド名、商品名、レストラン名などに創始者の氏名をそのままつけることが多い。

 ヴュイットン氏は船旅用のマル―トランク・行李(こうり)―を作ろうとのアイデアが彼の頭に浮かぶ。汽車の旅のつぎには船旅のブームが来ることを予想してのアイデアであった。

 1970年代までにヴュイットン氏はスペイン王、エジプトのスルタン、ヨーロッパじゅうの大貴族、大ブルジョワを顧客として獲得し、最初の海外支店をロンドンに開く。

 フランスの男性の目にはヴュイットンは非常に女性的に見えるらしく、そんなの恥ずかしくて持てるかよ、ということのようだ。

 《ヴュイットンのブチックに並んでいる日本人やアメリカ人を見ると笑いたくなるね。ヴュイットン級のブランド品は並んで買うものじゃない、家なりホテルなりに届けさせるものさ…》

 多くの日本人はルイ・ビトンと言う。正しくはルイ・ヴュイットンである。念のため。




 あっはっは。こういった蘊蓄(うんちく)を読んだ後ではなんだかどうだ~というような気がしてきます。それがにわか知識であっても。

 先日読んだばかりのコメディ小説

「くそったれ、美しきパリの12か月」
スティーヴン・クラーク 村井智之訳 
ソニー・マガジンズ 1700円 
2006年1月20日初版 

 これにしても、イギリス人男性がヘッドハンティングでフランスに来て、寝るところに困り、カフェでの注文で困り、浮気で困り、なんだかモラルが180°ひっくり返ったような不条理に悩まされながらも、最後は逆転ホームランかと思わせるようなパリ修行が書かれています。

 とくにイギリス人の男女の関係とフランスでの違いはもう何と言ったらいいのか、考え方を根こそぎ変えられるほどの違いだそうで、私などは日本人はまだ英国人に近いのだろうなと思ってしまったりもしました。

 そんな感じでフランスの文化や風習の違いを見ていましたら、またもや図書館で偶然に面白いパリ風物誌のような本に出会いました。



「エコール・ド・パリの日本人野郎  松尾邦之助交友録」
玉川信明 著 社会評論社 3200円 2005年11月20日初版


 1922年(大正11年)松尾邦之助は東京外語フランス語文科卒業後、半年後にパリに留学します。静岡県引佐(いなさ)郡に生まれ、森の石松のように人情味あふれる人で、呉服商の父親は酒飲みの道楽ものでありながら、永井荷風の『ふらんす物語』を読んで、息子をパリに留学させるのを怖がった。

 現在のパリ大、当時のソルボンヌ大学政治学部へと留学をしたが、ホームシックにかかり、彫刻家佐藤朝山と出会って二晩放蕩を続けたおかげでホームシックと孤独を脱するが、すぐにお金を使い果たして貧乏な生活をずっと続ける。

 パリの日本人の知り合った人の世話で社会の底辺で働くが、そのうちにパリの日本人会の書記の仕事にめぐり合い、留学中の日本人ともたくさん出会う。

 その中には藤田嗣治もいて、彼の波乱万丈、努力の末にフランスで認められるようになったころの出会いという。

 当時の日本人留学はドイツ、英国、米国などで政治や経済を学ぶ人が多く、フランスには画家の留学が多かったそうだ。

 藤田、佐藤以外にも、戸田海笛、佐伯祐三、小磯良平、大久保作次郎、岡見富雄、岡本太郎、大森啓助、小島善太郎、東郷青児、宮田重雄、向井潤吉、野口弥太郎、小山敬三、伊原宇三郎などモンパルナスに集まっていた。

 松尾は「東洋の会」で知り合ったスタイニル・ベル・オーベルランの協力により、1927年に『其角の俳偕(きかくのはいかい)』を共同翻訳し出版する。日本文化を理解するフランス人との出会いだった。





 そういった松尾邦之助の経緯を著者である玉川信明が読みやすく書いたものが本書です。

 第1章のタイトルは「では、陰気でうじうじした日本よ、さようなら」です。のっけから日本を陰気でうじうじしたというあたりがなんだかすごそうです。これって、JR東海の京都キャンペーン「そうだ 京都、行こう。」よりもすごいコピーですね。日本よ、さようならって…。

 エコール・ド・パリというのを1921年から1929年までの様子を松尾が感じただろう時代を取材していますが、当時は1914年に第1次世界大戦がはじまり、1918年に1次大戦が終わったばかりで、その後の世界恐慌まではパリは平和と繁栄を極めており、その当時の赤貧も何とかなるさとばかりに、日本からの留学生のフランスデビューを語っています。

 とくに松尾の個人主義(インディヴィデュアル)アナーキズムという思想については辻潤を師と仰ぎ、フランスのアン・リネルの考え方に共鳴し、今でいう世界に広がりつつある個人主義のもとになるフランスの場合の個人主義というものの本質をとらえているように思います。

 のちに松尾は日本を「この国ではとうてい精神(エスプリ)などというものは吸収されないし、まして、人間倫理に根ざした個人主義のイロニイなど、通じようもないのである」としています。

 近代の日本が歩む先を見つけに行ったのか、それとも世界の果てまで行ったのかはわかりませんが、当時のパリで生活をしながら吸収した思想が語られています。

 国家とか集団にとらわれていては個人主義というものの根本は今でも見えないと思いますが、それでも儒教や明治以降の国民道徳観念がぶっ飛んできた時代ですので、今という時代がかつてのエコール・ド・パリ=パリ派(抽象、シュルレアリズム)を意識せずに近づいたりそれを追い越したりしている時代になってきたのでしょうか。

 日本人が日本を知ってから世界を理解するというのは、時代という時間と何人もの人を介して少しずつ進むという気がしますが、それでも一個人がどれだけ自己を知って自己を育てているのかは疑問です。

 たまにはこういった本を読むことで客観的な目を養いながら、主観的な人生のよすがにしたいものです。
# by arrive_at | 2009-12-13 10:39 | パリに行こう

CHANEL ROUGE ALLURE 24 EVOCATION


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