カテゴリ:冬のソナタ 2007( 20 )

 

冬のソナタ 第20話 冬のおわり (最終回)

 はやいもので、もう4週間が経ってしまいました。真冬の時期にこの冬のソナタが毎日の楽しみを与えてくれ、そしてそれも最終回になりました。

 このドラマが始まったころに冬ソナについてを解説しているブログを見つけました。ブックマークしていなかったので今ではそのブログを見つけられるかどうかわかりませんが、だいたい書かれていた内容はこんなことだったと思います。


 韓国の社会通念として儒教というものが広く浸透していて、親子家族の結びつきは強く、それゆえに結婚ともなるとひとりだけの問題ではなくなるというのです。

 この冬ソナではそういった社会秩序を守ろうとするサンヒョク一家のように、自分の結婚が家族親戚に認められることが大事だそうです。それはユジンも同じことで、母親の許しを得てみんなが納得する結婚を望むという点では同じです。大人になったユジンとサンヒョクはそんな中で祝福を受けて婚約をしました。

 ところが、チュンサンという人が現れて、その婚約は破棄され、なかなかみんなに認めてもらえない状況でユジンとチュンサンはどうやって生きていこうかと考えます。社会が望む結婚とは違っていろいろな問題が出てくる中で、個人がどうやって行くかという問題に突き当たったというのです。

 個人を中心に考えるというのはキリスト教の影響による個人主義の時代を感じさせます。儒教からキリスト教へ、家族制度から個人主義への変化がこの物語のテーマだと確か語っていました。

 :  思いやり。いつくしみ。なさけ。特に、儒教における最高徳目で、他人と親しみ、思いやりの心をもって共生(きょうせい)を実現しようとする実践倫理。「智・―・勇」

 この仁というものが染み込んでいるアジアの人々ですが、それでも個人の生活を追及しようとするとどうしても壁にぶつかることになります。それは社会にある壁ではなくて、個人の心の中にある壁です。周りの意見に流されず、しっかりと自分自身を見つめるには自律自立が必要になってきます。

 自分の心がどこに依存しているのか、またはどれだけ自分自身が自己の確立をしているのか、そういったことを知るには心理学の本を紐解くといいでしょう。心の問題に関しては専門的な本はたくさん出ています。

 社会はいまだに宗教が大きく影響しているともいえるし、それでも個人の独立心や信条は他人と同じということではありません。そういった点で、このドラマの中の主人公達が自分を探し、自分らしい生き方を探る物語だったといえるのかもしれません。

 作品の素晴らしさと共に、爽やかな若者の生きる姿が私を勇気付けてくれたのは間違いないと思います。






 さて、チュンサンは自分の母親に父親がジヌであったことを確認し、その現実の辛さに苦しみます。

 また、交通事故の後遺症が命を縮めはじめているということを知り、アメリカに行って手術を受けることを決断します。手術を受けても失明するかもしれないという危険な状態で、ユジンの将来を思って悩んでいます。


 サンヒョクはユジンと会いもう一度やり直さないかと言いますが、ユジンにはどうしてもチュンサンを忘れることは出来ません。

 サンヒョクはジヌにユジンとやり直したいと切り出しますが、ジヌは諦めるように言います。ジヌはチュンサンは自分の息子だということを打ち明けます。

 チュンサンとサンヒョクはお互いが兄弟ということを知ったのですが、それでもサンヒョクはユジンを自分に取り戻す為にチュンサンに感情をぶつけます。

 チュンサンが会社で徹夜で描いた設計図を翌朝キム次長が見つけます。その後ユジンと会うためにチュンサンは出かけます。最後の別れになるだろうと二人は感じながら、穏やかに話し合いをします。チュンサンはユジンの将来を思って、サンヒョクと付き合うことを勧めます。しかし、ユジンはそんなチュンサンの気持にも気付かず、やはり自分のチュンサンへの思いを断ち切ることは出来ないようです。とても辛い別れです。

 「もう空も冬じゃなくなったな。ここの冬の空が好きだったんだ。透明なのに何だかすごく深みがあって。でも、この空を見ることもないな。」

 チュンサンはサンヒョクにユジンを託し別れを告げ、アメリカへと旅立とうとします。

 サンヒョクは自宅にかかってきた病院からの電話でチュンサンの病状を聞きます。その急を要する手術とチュンサンの気持に気付き、ユジンに空港に会いに行くように伝えます。サンヒョクは自分の嫉妬と事実を受け入れられないもどかしさの中で、ユジンにチュンサンは自分の兄だと伝えます。ユジンを連れて空港に向かいますが、すでに飛行機は飛び立ってしまいました。

 チュンサンがアメリカに旅立ってしまって全てが遅かったというような状況ですが、サンヒョクはそれでもチュンサンを追いかけるようにユジンに言います。

 翌日ユジンは空港に行きますが、その手にはサンヒョクが渡したニューヨーク行きのチケットがあります。しかし、旅立つユジンの行き先はニューヨークではなくフランスでした。

 3年後にユジンとサンヒョク、チェリンはヨングクとチンスクを訪ねます。子供に恵まれ、幸せそうな二人です。

 ユジンはポラリスでまた働くようになり、チョンアに建設された不可能な家が載っている雑誌を見せてもらいます。ユジンはそこに訪ねて行きます。

 キム次長はチュンサンに、「あそこに行ったら私が去年掛けておいたプレゼントがありますよ。理事の大好きだったやつ。」と言いました。

 不可能な家には新しいジグソーパズルが壁に掛かっています。目が見えなくなったチュンサンは一歩一歩確かめるようにその家のなかを歩きます。自分で設計図を起した家ですので、まるで見えるかのように進んでいきます。

 海に向かって大きく開かれたテラスのテーブルが物音を立てます。チュンサンがそちらの方向を見ると、そこで振り返ったのはユジンでした。

 予期せぬ再会に二人は驚きながらも、喜びがあふれます。夕暮れの中で…。





 冬のソナタが終わりました。

 日本では季節はまだ立春を過ぎたばかりです。韓国は今頃は雪が降っているのでしょうか。一度冬の季節に訪れて見てみたいものです。雪山も、冬の空も。

 

 

 

 

 

 

 

 



 
[PR]

by arrive_at | 2007-02-05 13:01 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第19話 父と子

 歴史の話をするといつもどうしてか年代が合わなくなってきます。私は、もともと歴史はど素人で苦手でもあり、どうしても検証作業や膨大な知識の整理というようなことは避けたくなります。資料も出来れば簡潔で面白くて見やすいものでないと目が拒絶してしまいます。もちろん頭はおやすみ状態に入ります。

 前回は韓国の儒教の影響について触れるつもりが、儒学が始まった時代の説明だけになりました。約2500年前に儒学が始まったといわれていますが、春秋時代紀元前770-403年と戦国時代は紀元前403-221年に春秋・戦国時代に孔子を始祖とする儒家が始まったそうです。これだけとっても、春秋時代の始まりで紀元前770年ですので、孔子が儒学を説いて、その後弟子達が論語などに編纂したという期間を考えても、200年ぐらいの違いがあります。紀元前の話は1世紀ぐらいの違いはザラでしょうか。もう、不勉強なうえに知識もあまりないので、何がなにやらです。

 そんな私に習字教室の先生は「論語」のプリントを渡し、これを勉強してきてと簡単におっしゃいました。何なんですか、これは。

 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えるといわれているそうです。その中の四書五経(ししょごきょう)といわれ、四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいうそうです。論語はこの九種の書物の一つだそうです。

 『子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。』
 『し、のたまはく、まなびてときにこれをならふ、また、よろこばしからずや。ともあり、えんぽうよりきたる、また、たのしからずや。ひと、しらずしてうらみず、また、くんしならずや。』
 『先生はこう言っていた。
学んだ後、実際に確かめたり、実践したりする。これは面白い事だね。はるばる遠方より親しい友が訪ねてくる。これは楽しい事だね。人に認められても認められなくても特に気にしない。これは立派だね。』
 (私、自分で調べてみました。)

 そのプリントはある幼稚園の教材だそうで、昨今の幼児教育は論語を何度も復誦するらしいのです。例えばこれですか。教材は独自のものらしいのですが、それを渡された若い親は、読み仮名もなく意味も分からず自分では読めなくて、習字の先生ならば読めるかと持ってきたものが私のところに回ってきました。本当に、論語さん、よくいらっしゃいましたという感じです。

 幼児教育はともかく、今の時代でも一般教養は社会ではよく使われ、たくさんの人が接しているところです。歴史も含めて何事も勉強ですね~。(いやんなりますが…)

 私はこの数週間前からある人にパソコンのソフトを利用する為の説明に出掛けています。さすがに年配の方なので会話も多岐にわたりますが、エジプトで暮らしていたという事もあり自然にエジプト文明の話も多くなります。

 アフリカといえば砂漠の話が出て、映画「アラビアのロレンス」の話になりました。これは砂漠が出てくる映画ではありますが、アラビア半島のネフド砂漠を横切るイギリス軍人の話です。アラブの首長とその部族がたくさんある中で、トルコ軍に支配されようとする現地の人々を助ける為にロレンスという人が活躍するのですが、メソポタミア文明とその子孫である人々の社会というものがよく描かれています。両文明は隣り合わせているものの、その歴史はやはり別であり、さらに近代を持ち込んだヨーロッパの世界の目線で出来た作品だと思います。

 その勉強会ではパソコンの話しはもちろんですが、普段は無縁の中近東やエジプトの話をすることが多いので、こちらも知識の収集に時間を割くようになります。大人が集まると、どうしてもサロンのようになりますので、それこそ一般常識がないと会話についていけません。まるで砂漠の真ん中に一人取り残されたようで、「待ってくれー、置いていかないでー」と叫ぶことになります。世間は広く、自分は無知だと痛感します。しんどいわ~。


 そんなこんなで週末も明け、このブログのエントリもあとわずかとなりました。この長い前置きはどうにかならないものかという気もしますが、流れできているのでどうにもなりません。ごめんなさい。






 さて、前回は「運命のいたずら」だったのですが、いよいよその謎も解かれ、二人の心の中は混乱と不安の中でとても苦しむことになります。



 ユジンはチュンサンに会いに行きますが、そこには母親のミヒがいます。ミヒはあくまでチュンサンのことを諦めるようにユジンに話します。

 ユジンはマルシアンに来てチュンサンに別れを切り出されます。しかし、ユジンにはその言葉が信じられません。

 疲れからチュンサンは寝込みますが、そこにジヌが訊ねてきます。部屋に迎え入れた時にチュンサンは倒れてしまいます。そのまま病院にチュンサンは運ばれますが、医者はチュンサンのことをジヌの息子と思って病状について話をします。ジヌは病院で検査を受けます。チュンサンとジヌが親子であるだろうと考えて調べたのです。

 回復したチュンサンはユジンと会うことにします。ユジンは会社を辞めてフランスに留学をすることを決心します。ユジンが設計したコストがかかりすぎて建設が不可能な家の模型を持って、チュンサンに会いに行きます。二人はこれから別々の道を歩むということを話し合い、模型をチュンサンに渡し、別れます。

 ジヌはチュンサンが自分の息子だという検査結果を医者から聞きます。すぐにミヒに会いに行き、ジヌは自分の息子だということを確認します。

 チュンサンは会社でまたもや倒れ、事故の後に現れた後遺症により、命に関わる状態だと医者に言われます。すぐにでも手術をしないと危険だと強く勧められます。

 ジヌはチュンサンを訪ね、本人に自分が父親だと名乗ります。ついにチュンサンと父親のジヌはお互いに知らなかった真実を知り、その過去の出来事や思い出が一瞬のうちに頭をよぎります。

 チュンサンは母親のミヒと話しをし、その理由を知ろうとします。ミヒは自分の人生において隠していた理由を話します。「ヒョンスの子だと思い込まないとあなたを育てられなかった」と息子に謝ります。

 


 母親の人生において、片思いと失恋、そして自分を愛してくれた人の子を身ごもるという出来事が、若過ぎた彼女の心のなかでこのような行動を取らせたのでしょう。

 それがいいか悪いかというよりも、そうして人は辛く悲しい人生を乗り越えたいうことが真実のようです。

 正に運命に翻弄されているチュンサンですが、それでもユジンもチュンサンも若く、そういった運命の中にいても自分の生きる道を切り拓いていかなければならないのでしょう。問題はこれから二人がどう生きていくかです。

 

 「アラビアのロレンス」の最後の方に、英雄であり苦悩に満ちたロレンスにアラブの王とイギリスの政治家が言います。「君は潔癖だ。若い人は改革を求め立ち向かっていけることが羨ましい。」「これからは私達に任せてくれ。平和は老人に似て醜い。腹の探りあいだ。」というようなことをいいます。

 結果として大人の世界は醜く、そして若い人たちは純粋であり、苦悩に満ちているのでしょうね。

 

 

 
[PR]

by arrive_at | 2007-02-05 08:47 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第18話 運命のいたずら

 韓国の結婚は両家のご両親の許可がないと出来ないようですが、これは二人で勝手に結婚を決めることが出来ないということなのでしょうか。韓国では儒教の教えがいまなお人々の暮らしに影響を与えているそうですが、一体儒教とは何なのでしょう。

 例えば、女性がタバコを吸うのは韓国では大問題のようで、日本の高校生のようにトイレでタバコを吸ったりしているそうです。男性はほとんどが喫煙をするそうです。軍隊に入るということが嫌な人が多いそうで、先輩には尽くし、彼女とは別れ、やさしい母親とは会えないし、つらい2年2ヶ月を過ごす為の憂さ晴らしとも言われているそうです。そして年上の人の許可がないとタバコは吸えないそうです。

 それから酒の飲み方ですが、年上の人が飲むまでは年下は飲めません。飲むときは口を手で押さえ、相手とは違う方向を向いて飲むのだそうです。また、握手ですが、差し出した腕とは別の手で、握手する腕の付け根や胸を押さえます。ちょうど袖口を押さえてお酌する芸奴みたいなものでしょうか。丁寧な挨拶です。

 そもそも儒教というものが何かを私は分かっていません。世界史の中国の国の成り立ちのころまでさかのぼってみます。紀元前5000年頃には稲作がはじまって、紀元前2000年頃に最古の王朝、夏(か)が成立したそうですが、考古学的には紀元前1500年頃に商(しょう)が最初の王朝と言われているそうです。商とは現在は殷(いん)と呼ばれていますが、当時は商といわれ、あきないや商売などの経済活動の元となったと言われます。西周は紀元前1050-771年、東周は紀元前紀元前770-256年で、その時代は特に春秋時代紀元前770-403年と戦国時代は紀元前403-221年に分かれます。

 春秋・戦国時代に孔子を始祖とする儒家が出来ました。そのころは儒家以外にも法家・道家・墨家・兵家・農家・縦横家・陰陽家・名家などがありました。

 儒家は周の封建制度を高く評価し、仁=愛に裏づけられた家族道徳を広めれば天下・国家に平和をもたらすと説いたようです。儒家は哲学・思想を表わし、儒教は宗教としているそうです。

 秦(しん)は紀元前221-207年に始皇帝は焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)という儒家の弾圧をしました。しかし、その時代は長くは続かず、漢帝国は紀元前206年から西暦220年の時に儒学が歴代の専制王朝の公認する学問となったそうです。

 黄河文明が始まって紀元前770年頃に儒学が出来ましたが、インドの仏教よりも前に皇帝による人民支配が始まりました。現在では冠婚葬祭などその影響はついこの前までの日本でも大きな影響があり、また、現在の韓国にもまだまだ影響を与えているようです。

 (世界史A:実教出版、大英博物館日本語版カタログ、Wikipediaを参照)

 もっと調べたい方は
 儒教思想(儒学)のページへようこそ!




 今日のサブタイトルは「運命のいたずら」だそうですが、果たしてそれはどんなことなのでしょうか。



 ユジンとチュンサンは二人だけで教会で結婚式を挙げています。そこにサンヒョクが現れてユジンを連れ去って行きます。チュンサンは追わないのですが。

 ユジンはチュンサンと兄妹らしいということをまだ知りません。チュンサンはサンヒョクと話をします。
 「君さえ見逃してくれれば、ユジンとどこか遠いところに逃げてしまいたいって言ったら、君、どうする。僕らを行かせてくれるか?」

 ミヒは結婚に反対のままです。本当の理由はチュンサンには話しませんが、母親が息子のチュンサンを思い通りにさせようと、彼女と別れるように脅します。

 思いつめた様子のチュンサンですが、ユジンと会って海に行こうと誘います。「いろいろと面倒なことがあって、でも、心配するようなことじゃないよ。」

 海で楽しい一時を過ごす二人です。ユジンは二人の思い出をたくさん作ろうと写真を撮ったり、10年分を取り戻すかのようにいろんな話をします。ユジンにとっては本当に楽しいことでしょう。

 チュンサンは夜の海で一人佇みます。思い出のコイン、二人を写した写真機、そして壊れたポラリスのネックレス、それらを次々と海に投げ入れます。これからの二人の未来を悲観して思い出を残さないようにと涙ながらに捨ててしまいました。

 翌朝目覚めたユジンはチュンサンのいないことに気付きます。外に出るとそこにはサンヒョクが待っていました。チュンサンは黙って去っていったのです。

 サンヒョクの父ジヌはミヒと会いました。

 ジヌ 「昔、ヒョンスが結婚した時を思い出すよ。君はヒョンスが結婚してすぐ川に身投げした。あの夜を覚えているかい。あの後君は逃げるように私の前から去った。だから、てっきりチュンサンは私の子供だと思ったんだ。」

 ミヒ 「昔の話はいいじゃない。あまり聞きたくないわ。」

 ジヌ 「チュンサンはあの時もうお腹にいたのかい?」

 ミヒ 「ジヌ。」

 ジヌの話を肯定も否定もしないミヒの心中はどんなものでしょうか。

 ジヌとサンヒョクはチュンサンとユジンが兄妹だということについて話し合っていますが、そこにサンヒョクの母親が部屋の外で偶然聞いてしまいます。その後、サンヒョクの母親はユジンの家に行ってサンヒョクとの復縁をしないように釘を刺しに行きます。その時にチュンサンとユジンが兄妹だと言ってしまいます。ユジンは知らなかったので驚きます。




 「運命のいたずら」というなら、そのポイントはサンヒョクのお母さんかもしれません。運命とは本人の知らぬところでその筋書きが決められているかのように、黙って背後に迫ってきます。そんなことにも気付かない本人にぽろっと口走る人がいるとしたら、それはいたずら天使の矢が刺さった人でしょう。サンヒョクのお母さんは決め手を出す人ですね。

 親の代からの運命に翻弄されるチュンサンとユジンですが、今後どうなっていくのでしょうか。










 
[PR]

by arrive_at | 2007-02-01 13:48 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第17話 障害

 なかなかブログに手をつける気がしなかったので、丸1日が経ってしまいました。

 先日書いた某有名ブログが祭り上げられ炎上してしまったことが気掛かりでした。管理人との直接のやりとりで少しは安心しましたが、今後も影響なく通常の運営に戻ればと祈っています。管理人はたいへん真面目な人で、本名を明かし、私の別ブログも見にきてくれたそうで感想を頂きました。私もブログ管理者としてたいへん嬉しいことです。

 そのことが発端だったのかもしれませんがいろいろ気になって考えていました。私も今までにホームページが炎上して閉鎖せざるを得なかったことがあります。たいへん気に入っていたHPで、初めて作ったものだったし、そのジャンルもそのころにはたいへん凝っていた趣味だったので、掲示板が荒らされ不毛の公開戦場となったときはたいへんつらかったのです。

 大方の炎上の原因は、「批判」から始まります。それが悪意に満ちていた場合は決着のつけようもありますが、ほとんどは無責任な「私はこう思う。絶対にこれが正しい。」という個人の価値観の押し付けだけに、善悪もつけ難く、言い出したほうも引っ込みがつきません。こうなると子供の喧嘩です。「お前が悪いんだ。」「お前こそ悪いんだ。」

 価値観の前提となるものがなく、また、使う言葉の定義がないままに話し合うのはたいへん危険です。核爆弾を持つものと竹やりを持つものが武器を後ろ手に持って喧嘩を始めるようなもので、お互いの手の内が分からないままのにらみ合いは平行線です。かといって、武器の殺傷能力が分かればそれで解決するというものでもありません。争いはいつもうらみを増幅させ、憎しみの連鎖につながります。争わないのが一番ですが、降りかかる火の粉は自分で掃わねばなりません。

 争いのホームページやブログというのは管理者としては不本意です。収束する為にも閉鎖せざるを得ない場合が出てきます。残念なことですよね。しかし、それが世間というものの縮図かもしれません。要するに世間を渡るには上手くやれよということかもしれません。不本意ですが。

 冬のソナタに何度か出てくるジグソーパズルですが、きっちりと組み込まれていますね。そのパズルを組み立てる面白さと、緻密に組み合わさった画面の美しさが私も好きです。しかし、それはジグソーパズルならではの面白さで、人の世はそれほどきちんと組み合わさることは無いと思います。どちらかというと、モザイクでしょうか。スペインの鬼才アントニ・ガウディが1900年ごろに作ったグエル公園というのがあります。そこの建物や公園のデザインはくねくねしてへんてこりんではありますが、タイルや陶板などのかけらを寄せ集めて貼り付けたバランスの取れた様子は、正に人の世を再構築しています。

 尖がったり、大きかったり小さかったり、様々な色や模様がびっしりと貼られています。このいびつな形のピースは目地剤でつなぎ合わせられます。この辺がジグソーパズルとは違うところで、寄せ集めを再利用するところが人の世そのものです。そして、その個性あふれるピースをつなぐ目地剤は人の経験と知恵というところでしょうか。そうであってほしいものです。

 たかがブログ、されどブログ。表現が曖昧といわれる日本語を使ってどこまで表現できるでしょうか。ブログって生きているけど見えない微生物のようですね。





 さあ、今回はサラっと行きましょうか。


 
 チュンサンとユジンはスキー場の現場に戻って、今までのことが懐かしく思い出されます。そして、二人はこれから幸せになろうと確認しあいます。

 ユジンの母親はサンヒョクの父親のジヌに会って、ミヒが結婚を反対しているということを話します。その理由は分からないのですが、ジヌは昔のことを思い出すようにミヒに電話をしますがつながりません。

 チュンサンはユジンの母親に会って結婚の許しをもらいに行こうと言います。ユジンと出かけますが、ユジンの母親からは許しはもらえませんでした。ユジンは母親にその理由を聞くと、学生時代にサンヒョクの父とカン・ミヒ、ユジンの父親の写真を出し、若い時の恋愛戦争の思い出がこの結婚の障害になっているのではと話します。ミヒは許さないだろうと。

 チュンサンはユジンとディナーを取ります。現場のカフェの完成を祝い、これからも一緒に暮らそうと誓い合います。

 チュンサンはサンヒョクに会い結婚を祝福してもらうのですが、まだ親からの許しをもらえないことを話します。サンヒョクは別れ際に、「それでも、お母さんに感謝しなくちゃな。もし、君のお母さんとユジンのお父さんの初恋が上手く行っていたら、君とユジンは兄妹だった……そうじゃなくてよかったな。」と言います。別れた後でサンヒョクの言葉にチュンサンは不安を覚えました。 

 チュンサンはジヌのオフィスに行きましたが、そこには一枚の写真がありました。それを見て動揺したチュンサンは帰ってしまいます。

 チュンサンがユジンのいるスキー現場に戻ってきましたが、降雪機の大きな音がするゲレンデにたたずんでいます。ユジンは、「もしかして、チュンサンも泣きたいんじゃない」と冗談をいいますが、チュンサンの胸中を知る良しもありません。

 チュンサンはユジンと今日結婚しようと言います。

 チュンサンは10年前にユジンのうちであの写真を見たことを思い出します。ミヒに「僕の父親は、ユジンのお父さんなの?」と問い詰めますが、ミヒは「ごめんなさい、チュンサン」というだけで真実はわかりません。そんな不安定な状況がチュンサンが結婚を早めようとする理由なのでしょうか。

 サンヒョクがジヌの電話を耳にしてしまい、ジヌからチュンサンの父親がユジンの父親と同じかもしれないということを聞き、二人の結婚を止めるためにスキー場に急ぎます。

 スキー場の教会ではチュンサンとユジンが二人だけの結婚式を挙げようとしています。






 まだまだ解決していない謎がありますが、それでも二人の愛は止まりません。
[PR]

by arrive_at | 2007-02-01 09:27 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第16話 父の影

 昨日はとても寒くて、本格的な冬の気温でした。

 寒い時期には素晴らしい音楽もいいものです。来日中のイル・ディーヴォ( Discographyの各アルバムをクリックすると視聴できます)というアメリカ、フランス、スイス、スペインの男性4人のユニットのコンサートがあったそうですが、テレビで見ると素晴らしい歌声のようです。声楽科出身の二人もいるそうで、楽しいコンサートだったことでしょう。

 オリコンで1位になった秋川雅史さんの「千の風になって」(視聴できます)は朗々と歌う声が素晴らしく、クラシックで鍛えた喉は人々を魅了してくれます。

 普段はあまりこういった音楽は聴きませんが、たまに声楽家の声を聴くといいなあと思ってしまいます。私のよく聴くものの中にU2の1990-2000ベストというのがあります。アイルランド出身のロックバンドで世界的に数多くのファンを持つグループです。その中に「 Miss Sarajevo 」という曲がありますが、ゆっくりした曲の途中に声楽家の歌声が入ります。これもなかなか良いですよ。

 オペラティックな歌声は普段はあまり耳にしませんが、こうやってちょこっと聴くのがいいのかもしれませんね。

 ミュージカルで「オペラ座の怪人」というのが上演されていましたが、こういったミュージカルでもすこしオペラ調のものは人気が高いと思います。カナダでもオーストラリアでも観そびれた私は、日本での上演を待って2度観に行きましたが、出演者のすばらしい声に魅了されました。オペラは難しそうだけど、これからは少しずつ聴いてみようかなという気になっています。

 寒い季節にみなさんはどんな音楽を聴いているのでしょうか。






 今回はチュンサンのお父さんは誰かという話になりそうです。

 記憶を少しずつ取り戻しているのですが、高校生の時に何故チュンチョンに転校したかということが思い出せないでいます。ユジンは以前にそのことを聞いたことがあるので、父親を探しに来たのだと伝えます。

 サンヒョクは父親のジヌと話をする中で、イ・ミニョンがカン・ジュンサンだということを言います。チュンサンの母親がカン・ミヒという事も分かりジヌは何か考え事をします。

 日本で仕事中のミヒのところへジヌから電話が入ります。

 「まさか、あの子が私の子供だから黙っていたのか?」
 「あの子、私の子なのか?」

 ジヌはミヒの事務所から帰る途中にチュンサンと出会います。そして二人で話すのですが。

 ジヌ 「君は本当にカン・ジュンサンなのか?信じられない。」

 チュンサン 「僕がカン・ジュンサンです。」
  「僕が研究室に訪ねてきたって。それでもしかして、その時に僕、何か父の話をしませんでしたか。」
  「うちの母と親しかったと聞いて、あなたに父のことを聞きにいったのだと思うんです。僕の父親が誰かご存じないですか?」

 チュンサンの父親は亡くなったと聞いたジヌは、いろいろなことが頭をよぎりますが、母親が話したくないことは訊かないほうが良いとチュンサンに言います。

 チュンサンはユジンを誘って夜の散歩をします。手を繋いでユジンの父親のことを訊ねます。父親ってどんなものだろうかと考えるチュンサンは、ユジンと結婚をして子どもたちの良き父親になるという希望でいっぱいです。

 チュンチョンのユジンの実家をミヒは訪ねます。父親は亡くなり、未亡人となったユジンの母親と話をします。ユジンの友達のチュンサンは私の息子だというミヒです。ユジンがサンヒョクと婚約解消をしてチュンサンと付き合っているのを知っているユジンの母親は驚きます。

 



 チュンサンは退院した後、少しずつ記憶を取り戻しながら回復しているようです。そして、自宅に招いて仲たがいした友達とも仲直りしました。チェリンだけはまだ悲しみの中でもがいていますので無理でしたが、それでも会って仲直りをしたいと話をしました。

 徐々にユジンとの結婚を考えて進んでいるようです。

 ところが、サンヒョクの父ジヌとチュンサンの母親ミヒの間には何かあるようです。どうも過去には付き合っていたような話もありますし、チュンサンが自分の子供かどうかを訊ねるあたりは若き日の出来事が何かあるようです。

 また、ミヒはサンヒョクの勤めるラジオ局に仕事で向かいますが、その時にサンヒョクに結納品と結納金を返しに来たユジンの母親が鉢合わせします。ユジンの母親ははっとしますが、それはミヒの存在を前から知っていたかのようでした。ミヒも気付いたようです。

 ミヒはチュンチョンのユジンの母親に会いに行って、何を話すつもりでしょうか…。

 

 いや~、若い二人には未来のことしかありませんが、年老いた親の年代には隠された過去がまとわりつきます。

 人が生きていくということはけっして順調に時が過ぎるとは限りませんね。親の人生にもきっとつらくて苦しい日々があったのでしょうか。それでも、人は耐えて生きていかなければいけません。いえ、そうやって苦しむということが人間に課せられた生きる意味なのでしょうか。

 チェリンがどうしても未練に苦しめられながら、「いつまでも待っているから。見てらっしゃい。」といった言葉は、いつかミヒが発したものと同じかもしれませんね。こういう女性って大成功するのかもしれません。がんばって、チェリン。

 
 いよいよ、父親が誰なのかという核心に近づいてきました。










 
[PR]

by arrive_at | 2007-01-30 11:37 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第15話 過去への旅路

 ブログ運営もたいへんです。先週は人気ブログの「がんばれ、生協の白石さん!」のブログが炎上しました。有名になるとその分荒らしが集まりますし、励ましもけなしも含めて今までついたことのないぐらいのコメントで膨れ上がります。読むだけの人もいますから、アクセス数は膨大なものでしょう。サーバーのパンクなどでブログが閉鎖されないようにお祈りします。

 その点、このブログはささやかな運営と人目を引かない内容に終始していますので、今のところ炎上はありません。exciteは管理ページにはアクセス解析がついていまして、曜日ごとの数字が現れます。おかげさまで当初よりはアクセスも増え、この粗末な文章を読んで下さる方にはお礼を申し上げたいと思っています。

 ブログというのはいろいろなタイプがあるようで、これはホームページなどでもそうでしたが、コミュニケーション型と一方的に書きなぐり型があるようです。そもそも個人の発信の場合は自己宣伝(自分自身を売り出す)と自己表現(表現の中味)のどちらに偏るかで傾向が違ってくるようです。

 みんなとお友達、お話したい、人の反応が気になる等々のコミュニケーション重視型。

 とりあえず言いたいことを先ず書き、反応があったとしても気にしない、というか人の言うこときかない、悪意ではないのだけど持って生まれた性(さが)故の書きなぐり型とでも言うのでしょうか。良くあります。私のブログは後者です。えぇ、ほとんど人の言うことなんか聞いていません。人の反応も気にしていません(なぜかほとんど無いのですが)。考えもせずに突っ走るようです。

 まあ、そんな性格とはいえ、それでも他人を気にするということはありますので、そこそこのパフォーマンスと無い才能を搾り出すことにしましょう。





 冬のソナタの中で流れる音楽が気になります。やはりサントラCDを一度聞いてみないといけませんね。いつものように主題歌ばかり口ずさんでいても進歩がありません。

 いまだに進歩のない場合は 冬のソナタ 日本語訳 (フラッシュの音量に注意)

 お笑いを求める人は 冬のソナタレビュー#15

 真面目に語るレビューは 冬ソナ通り



 先週末に久しぶりにフィットネススポーツクラブに行ったのですが、そこにはアルバイトの男子学生がいます。その顔がパク・ヨンハさんにそっくりなんですよね。いつもニコニコと明るい人で、スポーツは野球が専門でファーストです。体型はちょっと熊系ですが、その顔といい、目元といい、ヨンハ君です。実の親にも少し似ているかもって言われるそうですが、いいですね~。

 「パク・ヨンハって顔いいのよ、声もいいし、歌も上手いし。でも、役がフラレて、フラレて、フラレる役なのよ~。」といったら、「僕もです~。」
 私だけは応援していますから!






 さて、今にもアメリカに出発しようとしていたミニョンでしたが、突然の事故で入院し、意識が戻らないままにユジンの看病が始まります。

 友達のヨングク、チンスク、チェリン、サンヒョクたちがお見舞いに来てもミニョンはなかなか目覚めませんでした。そのうち、峠も越えたようで、ミニョンはユジンに「ユジン、ユジン」と昔のチュンサンの時の呼び方をします。ユジンは記憶を取り戻しつつあるミニョンを見て喜びます。


 ミニョンは記憶をかすかながら取り戻し、自分がチュンサンだったことが分かります。ユジンも母親のミヒもチュンサンと呼び始めます。

 チェリンは失恋に苦しんで、まだミニョンをチュンサンとは認めませんが、それでも友達たちは泥酔するチェリンを慰め、チュンサンだということを受け止めます。ただし、苦しむ友達やその友情にひびが入ることを恐れ、なぜ今頃現れたのかとチュンサンを責めます。

 サンヒョクはユジンと話し合いをして、自分の気持ちを整理します。婚約解消も自分から両親やユジンの母親に伝え、ユジンを諦めることにしました。

 チュンサンはなかなかはっきりしない記憶を求めて、ユジンと共にチュンチョンに行きます。ユジンから高校時代の思い出話を聞きながら、よみがえらない記憶をそっと追っていきます。

 チュンサンは仕事の途中、車を運転していて道端の子供の仕草からピンク色の手袋を思い出します。実家で探すと、そこには高校時代にユジンと待ち合わせた時に着ていたコートと、そのポケットに入っていた手袋を見つけます。徐々に記憶が戻っているのでしょうか。

 二人が大晦日に待ち合わせをしていたところで、チュンサンはその光景を思い出します。そして、空からは雪が舞い降ります。





 この回は地味です。徐々に記憶を取り戻そうとしているチュンサンと、看病をしたり記憶を取り戻す手伝いをするユジンの展開はほのぼのとした二人の世界のようです。新しい住まいを決め、チュンサンは落ち着いて韓国で自分を取り戻そうとするかのようですが、つかの間の幸せという感じでしょうか。二人でインテリアを決め、部屋を片付けて行くところが幸せそうでもありました。

 まだまだこの先がありますが、冬のソナタは本当の冬のような寒さに耐え、いつ来るとも分からない春を信じ、お互いが離れたままでも信じあいながら希望を持って生きていくという感じです。

 現在の季節とも相まって、春が待ち遠しいですね。




 
[PR]

by arrive_at | 2007-01-29 11:21 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第14話 二度目の事故

 仁川(インチョン)空港が出来た年に、私は初めて韓国に旅しました。日本からはほんの数時間で到着する為か、機内食は出なかったと思います。それでも、フライトは楽しいし、外国に到着したという感じで十分ドキドキしました。やはり国際空港は異国の地に着いたという雰囲気がいっぱいで、いいものですね。

 飛行機に乗ったときに飲み物を注文できるのですが、私は思い切ってブラッディー・マリーを頼んだことがあります。確かアメリカ北部への旅だったと思いますが、飛行時間が長いのでフライトをエンジョイしようと工夫してカクテルを注文したのです。しかし、カクテルなんて普段はあまり飲みませんから、出てきたトマトジュースにビックリしました。私はお酒はいけてもトマトジュースは全然いけません。「食わず嫌い王対決」で妻夫木聡さんが苦手なのもトマトジュースでしたが、その気持がよく分かります。赤くて塩辛くてアルコール入りのこってり感は無理です。

 「ウォッカ 45 ml 、カットレモン 1/6個 、トマトジュース 適量 、セロリスティックを添えたり、ウスターソースや塩・コショウ・タバスコなどを添える場合もある。」Wikipedia によると、16世紀にイングランドでプロテスタントを多数迫害したために「血まみれのメアリー」(ブラッディ・メアリー)と恐れられた女王、メアリー・チューダー(メアリー1世)が名前の元とされているそうです。涙の女王チェ・ジウとは違って、有名な女性だったのですね。お見それいたしました。何事も勉強です。

 インチョン空港でこの冬ソナは撮影されたようですが、金浦(キンポ)空港よりも大きくて新しくて、韓国の玄関口としてはたいへん立派です。アジアのハブ空港としても当時は最大ということで、韓国のイメージアップには一役買っているのでしょうか。そしてペ・ヨンジュンさんも冬ソナで一躍有名になり何度となく日本にも来たし、日本のファンが韓国にも押し寄せるようになりました。

 ペ・ヨンジュンさんの人気は今でもたいしたもので、今日のニュースでは、ペ・ヨンジュンさんの2005年の所得が329億ウォン(約42億4000万円)に上ったと所属会社が25日明らかにしたそうです。うち97億5000万ウォンを所得税として納付し、韓国メディアは芸能人でトップの納付額だと伝えています。収入の9割は日本での売り上げや日本企業との契約によるもので、日本での根強い人気を見せつけた結果となったようです。(スポーツ報知より)

 また、サンリオは25日、韓国の人気俳優ペ・ヨンジュンのキャラクター商品を開発、販売するライセンス契約を、韓国企業と結ぶことで基本合意したと発表しました。契約するのは、ヨン様の肖像権を持つメディアコンテンツ企業キーイースト。ヨン様自身が筆頭株主で、日本国内でも肖像やキャラクターを使用したコンテンツ事業を手掛けているそうです。

 ヨンさまの海外輸出はとどまるところを知りません。アメリカのハリウッドスターが100億円以上の所得があるというのは分かりますが、この42億円という結果を見ても、気前良く輸入して日本円をバンバンと支払うというこの国の経済力に、ある意味誇りを感じます。




 さて、ミニョンは自分がチュンサンであることを知りますが、記憶がないという状況に仕様がないとアメリカに戻ることを決心しました。サンヒョクにそのことを伝えますが、ユジンには教えていません。

 ユジンはポラリスで仕事をかたずけているとチョンアにミニョンがアメリカに行くことを聞きます。ミニョンの手紙を読むと、ミニョンはチュンサンであることが分かり、記憶が戻ったのではないかと思い空港に探しに行きます。

 ミニョンとユジンは再び空港で会うのですが、二人はホテルで夜を明かします。ユジンが目覚めると手紙と共にミニョンは行ってしまいます。急いでホテルを出てミニョンを見つけますが、道路を横切る時にトラックが迫ってきます。

 ミニョンはユジンを助けますが、ミニョンは車にはねられ入院し危篤状態になります。

 病院でユジンは看病をしますが、そこにカン・ミヒが現れます。ミヒは仕事で忙しいのでユジンに看病を任せます。

 ミニョンは意識を取り戻しますが、チュンサンの時の記憶が徐々に戻ります。「ユジン、ユジン」とチュンサンの時の呼び方でユジンを呼びます。





 病院に駆けつけたチェリンはユジンにひどいことをいいますが、ユジンも負けていません。チュンサンを10年間も思い続けたのですから、目の前の弱っている人を見守っていたいのでしょう。

 チェリンはサンヒョクを呼びつけますが、酒を飲んで泥酔しています。このチェリンの壊れっぷりはたいしたものです。韓国ドラマ「オール・イン」の時は美しくて強いお嬢様が似あう役でしたが、失恋で苦しむ様子は体当たり演技です。サンヒョクも失恋のつらさをよく分かっていますので、子供のように泣きながら苦しむ気持がよくわかるのでしょう。泣き崩れるチェリンはなかなかいい感じです。チェリン、強くなってください。

 ユジンはミニョンを看病するのですが、ものが喉を通らないほど心配し悲しむのですが、一生懸命ごはんを食べて強くなろうとします。人が強くなるというのは、ただ悲しんでいるだけではなく努力をしないと出来ないものなのでしょうね。ユジンも強くなってください。

 母親であるミヒは愛する息子とその恋人を受け入れるのは難しいことでしょう。しかし、取り乱して騒がなかったことにホッとしました。大人は残酷で、冷酷で、自分本位の行動に責任を持たないといけません。たとえそれが本当のことを隠すことになっても維持しなければいけないことがあるのでしょうね。

 女性の三人三様の様子は、年齢や経験によってその気持がよく分かることでしょう。これを理解するのはこちらサイドの問題でしょうね。

 



 
[PR]

by arrive_at | 2007-01-26 11:41 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第13話 追憶

 たいていの人は真実を知ると驚きますが、問題はその真実を受け入れるか、または、何事もなかったかのようにいつものように過ごすか、それは人として大きく悩むことでしょう。

 このレビューを書いていて私もある真実を見つけました。

 日本語の吹き替えのなかで、本人もまた周りの人もミニョンのことを「ミニヨンさん」と呼んでいます。そのことには前々から気付いてはいたのですが、今まで知っていても知らないふりをしていました。

 果たして、ミニョンはミニヨンなのか、これから私はどうすればいいのか、しばらく悩んでいましたが、やはり何事もなかったように過ごしていくことにしましょう。






 ミニョンはチュンチョンの家に行き、ミヒと話をします。

 本当の記憶を返してほしいというミニョンに、ミヒは寂しそうだったチュンサンに幸せを感じさせたかったと話します。母親を憎む高校生のチュンサンが事故で記憶をなくしたときに違う記憶を植えつけることで、明るく生きるミニョンとして生きて行ってくれることを望んだそうです。

 自分の部屋で高校生の時のユジンからの手紙や、チュンサンがユジンに送るテープの試し取りのメッセージを聴いて、ミニョンが知らないチュンサンの実像を想像します。

 ミニョンは会社に戻り仕事を整理してアメリカに旅立つことにします。キム次長は驚きますが、ミニョンは決心しているようです。

 サンヒョクにミニョンは会いに行き、アメリカに戻って二度と韓国には帰らないと伝えます。チュンサンを諦めミニョンの記憶の中で生きていくことにすると言います。

 ミニョンの言動を思い返し、ユジンはミニョンを訪ねます。ミニョンは自分の部屋で荷物の整理をしていますが、その部屋の前でミニョンに会おうかどうしようかと躊躇するユジンです。





 いよいよミニョンは自分自身のことで決心したようです。チェリンに挨拶に行った時に偶然ウエディングドレスのユジンに会いますが、その時に、ミニョンはユジンにチュンサンとミニョンを愛してしていたのかと質問をしました。ユジンははっきりと、チュンサンを愛し、また別にミニョンを愛したと答えます。

 気持ちの整理をして正直に語るユジンは成長しましたね。ちょっとは大人になってきました~(笑)。








 
 
[PR]

by arrive_at | 2007-01-25 11:49 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第12話 10年前の真実

 冬ソナを見終わって、すぐに上野公園に出かけました。

 現在、東京国立博物館では「悠久の美-中国国家博物館名品展」が開催されています。新石器時代は紀元前4500年頃、陶器の彩陶瓶(さいとうびん)や玉石でできた玉龍などがあります。二里頭文化・商時代には紀元前16世紀の方鼎(かなえ・てい)、鉞(まさかり・えつ)などの青銅のものが出ています。

 この展覧会には一つも仏像がありません。ブッダは紀元前400年頃から紀元前480年頃に実在したそうです。ブッダの死後およそ5~600年過ぎたころから仏像が作られるようになりました。その間は無仏像時代といわれています。中国の仏像はインドのものを真似ているので、3~4世紀ごろに仏教自体よりも遅れて仏像が作られたといわれています。今回の展覧会は仏教よりもはるか前ですから、黄河文明についてよくわかると思います。

 私が自分で仏像に興味があるとわかったのは韓国のキョンジュにある石窟庵(ソックラム)の仏像を見てからです。新羅仏教美術の最高峰といわれ、石窟寺院として石を積み重ねた部屋の中に美しい容姿の仏像がありました。日本の大仏殿のどってりした仏様とは違い、釈迦如来像はすっきりした顔立ちと首から肩にかけての美しいラインは中性的というか、要するに日本のよりハンサムという感じです(ちょっと思い込み満載です)。もちろん世界遺産です。

 慶洲国立博物館では、「半跏思惟像(はんかしいぞう)」がありましたが、これは京都の「広隆寺」のとよく似ていて、朝鮮から渡ってきたといわれているそうですが、たいへん美しい像です。どうも日本に渡ってきてから作られた仏像は不細工という感じでしょうか。仏様すみません。

 中国も朝鮮も日本も同祖同根とよく言われますが、歴史からいくと3万年前まで大陸がくっついていたころから行き来があり、その後日本列島は大陸との間に亀裂が入ったそうで、6千年前ぐらいに日本海が広がり今のような地形になったたようです。国の歴史は紀元1世紀ぐらいからだそうで、それまでは国土などの意識はなかったようです。

 現在は「近くても他人」のようなアジアですが、「悠久(永遠)の美」を誇るアジアの品々は今でも言葉少なに私達に何かを伝えようとしているのでしょうか。

 なが~い前置きになりました。ごめんなさい。





 過去の時代は謎に包まれ、考古学者や歴史研究家などが一生懸命に真実を見つけようと苦労しています。

 さて、ミニョンも過去の真実を探す為にかなり苦労しているようです。はたして隠された真実は暴いていいものなのでしょうか。ちょっと心配です。

 

  ミニョンにタクシーをとめてもらってユジンは帰りますが、二人は何も会話をしませんでした。お互いに距離を置くように努めているようです。

 ミニョンはキム次長と酒を飲んでいるときに精神科の治療方法としてセラピーを受けることを勧められますが、心のひどい傷を受けた時に催眠療法として新しい記憶を植えつけるという方法があることを知ります。ミニョンは自分がピアノを弾いたことがないのに手が勝手に弾きはじめたことを思い出し、自分が昔のことを覚えていないことに疑問を感じます。

 サンヒョクとユジンはチュンチョンのユジンの父親の墓参りに行きます。その日は父親の誕生日で墓には誰かが墓参りをしていました。

 カン・ミヒは今でも誕生日は忘れることができないと墓に話しかけます。「あなたを許せない」と謎の言葉を言います。ミヒはユジンの父親を良く知っているようです。

 カン・ミヒがミニョンの母親だということを知ったサンヒョクは母校でチュンサンの生徒名簿を調べます。しかし、その前に誰かが調べに来ていました。

 ミニョンはチュンサンのことを調べ、チュンサンが高校時代に住んでいた住所を訪ね、その家にいきます。覚えのない家ですが、そこにミヒが現れました。

 ミヒはその家を飛び出していくミニョンを追いかけますが、とてもつらそうな表情になります。

 ミニョンは湖に行きますが偶然にユジンと出会います。

 「ユジンさん、僕、変ですよね。本当に変なんです。」

 「もしも、僕が…」

  ミヒの写真がチュンサン家にあったことに疑問を持ち、「僕は誰なんだ」とミヒを問い詰めます。「僕がチュンサンだっていうの?」

 ミニョンはアン医師に会い、湖で溺れた後記憶をなくし、母親のたっての願いでイ・ミニョンとしての記憶を植えつけたことを知ります。そして、チュンサンの家で高校時代のチュンサンの写真を見つけ考え込みます。

 ヨングク、チンスク、チェリン、サンヒョクが集まった席でミニョンはチュンサンの葬式に誰か行ったのかとききます。みんなはその当時のことを思い出して、チュンサンが本当に死んだかどうかを疑問に思います。

 その場を出たミニョンは外でユジンに会います。

 「僕は誰なんです。言ってください。ユジンさん、僕はチュンサンです。」




 
 いよいよミニョンは自分の過去の断片を一つ一つ拾い始め、それはジグソーパズルをはめていくような、そんな状況になってきました。




 



 
[PR]

by arrive_at | 2007-01-24 21:37 | 冬のソナタ 2007  

冬のソナタ 第11話 偽り

 目がうすうす 今晩こ ひじゅん 久留須を ターボ~。覚えましたか。

 ドラマもいよいよ半分を過ぎました。今月いっぱいはこのまま突っ走りましょう(笑)。

 今朝はTVKの「saku saku」で平井堅さんの「哀歌 エレジー」が流れていました。映画「愛の流刑地(るけいち)」は渡辺淳一原作だそうですが、たぶんドロドロ物語でしょうね。映画はそんな感じですが、主題歌を歌う平井堅さんはいつも素敵なポップな曲です。しかし、今回は全然感じの違う曲なので面白いなあと思います。意外性がありますね。

 平井堅さんの意外性はこの曲だけではありません。大学は横浜市立大学商学部を卒業しています。単純に学歴の高さに驚いているのですが、これはB'zの稲葉さんの横浜国立大学教育学部数学科を卒業したのと同じように、専攻とは関係なく自分の進路を進んで成功しているというところがすごいなあと感じてしまいます。

 先週、センター試験があったばかりで受験生の人には羨ましい国公立ですが、入るに難しく、出るに難しく、そしてその後の人生はもっと難しいのでしょうね。これからも素晴らしいミュージシャン活動をしていただきたいものです。




 さて、今回は地味な展開です。じわじわとミニョンの出生の秘密に迫ってくるようで、そして、よみがえった愛のなかでもだえ苦しむサンヒョクの心中はまさに「愛の流刑地」かな~とどうしてもチャチャを入れてしまいます。



 ユジンとよりを戻したサンヒョクは両親に結婚したら二人で留学をするつもりだと伝えます。ユジンも同席しましたが、そんなことは聞いていませんでした。暴走しています。

 ピアニストのカン・ミヒにキム・ジヌが会いに来ます。「父さん?」とサンヒョクが声を掛けますが、それに振り返ったカン・ミヒはジヌの顔を見て驚きます。

 ユジンへの想いに悩むミニョンは休暇をとって別荘に行きます。近くの湖で地元のおじさんにチュンサンという子供が溺れたのを助けたという話を聞きます。驚くミニョン。

 ジヌはミヒと話をしているときにミヒには息子がいるということを知り、「息子がいたのか。」と驚きます。
 「もしかして、カン・ジュンサンという子を知らないか。カン・ジュンサンという子が十年前に私を訪ねてきてね、君の事を私に聞いてきたんだ。その後すぐに事故で死んだんだらしいんだが、ひょっとして、あの子が君の息子かと思ったんだ。」

 ミヒは演奏後に倒れてしまいます。アン医師に診てもらうと「何かの強いストレスがあったのかもしれない」と言います。ミニョンはその時にアメリカ時代を知るアン先生に「母の子は僕一人なんでしょうか。僕は本当にアメリカで育ったんでしょうか」と質問します。何かしっくりしません。

 バーで一人たたずむミニョンに、チェリンは心配します。「僕のことはほっといてくれ」というミニョンを放っておける訳ではありません。チェリンはとても心配しています。

 ミニョンは自分のことで悩みながら、ユジンの家の前までいきます。サンヒョクと別れて部屋に戻るユジンの姿を遠くから見つめるだけです。

 ミニョンの母親であるミヒは息子の質問に驚きながらも答えます。「知らない。初めて聞いたけど、いったいどういう人?」

 ミニョンを気遣うチェリンの頼みで、ユジンはミニョンに会いに行きます。ユジンはもらったネックレスを返すつもりでミニョンに会います。ミニョンはユジンとあえて嬉しいのですが、ユジンは状況的にもミニョンに愛想を振り撒くことはしません。サンヒョクとの約束を守っています。本心では二人はつらいことでしょう。

 ミニョンとユジンは横断歩道の前で話をします。壊れた信号機の前でいつまでも信号の変わるのを待つのですが、ユジンは一人で車がやってくる歩道を渡っていってしまいます。ポラリスのネックレスを手にしながら見送るミニョンです。

 サンヒョクとユジンが帰る途中、チョンアからユジンにお酒を飲まないかと電話があります。ユジンは断りますが、急にサンヒョクが行こうと言います。チョンアやキム次長はユジンが来ないのでつまらないのかミニョンを呼び出します。

 そこに二人が現れたので飲んでいた三人は驚きます。愛のキューピッドになり損ねたチョンアとキム次長ですが、何とも間の悪い瞬間です。

 店を出る二人ですが、サンヒョクはユジンに嘘をついたと責めます。昨日ユジンがミニョンと会っていたのを知っているサンヒョクは嫉妬のあまりユジンを置いて車で帰っていきます。

 タクシーを拾おうとユジンは道端で身を乗り出しますが、車が多くて危険なところでユジンの腕を取る人がいました。ミニョンです。




 珍しくレビューを書きました。今日はどうしたのでしょう(笑)。



 
 ミニョンの中に膨らむ疑惑とユジンへの想い。自分の本当の気持ちを封印してサンヒョクのために結婚を承諾したユジン。

 ユジンというより理不尽な展開です。









 

 
[PR]

by arrive_at | 2007-01-23 10:58 | 冬のソナタ 2007