昔日のローマ #12 七代目 タルクィニス

 第六代王セルヴィウスは紀元前579年から前534年まででした。このセルヴィウスの統治は素晴らしく、市民にはたいへん助かったのですが、その次の代はもうムチャクチャというか、この辺が歴史の面白いところですね。



【最後の王「尊大なタルクィニス」】

 五代王タルクィニスの娘は養子のセルヴィウスと結婚したのですが、その間に生まれた二人の娘がいます。一人は勝ち気で、一人はおとなしい性格でした。

 五代王タルクィニスにも実子の二人の息子がいました。一人は気の強い野心家で、一人は穏健な性格だったそうです。

 先王セルヴィウスは性格の違うもの同士を結婚させましたが、性格の中和どころか気の強いものが優しいものを虐げるという、とんでもない結婚だったようです。

 気の強い王女トゥーリアと義弟のタルクィニウスはお互いの結婚相手がなぜか急死し、たぶん、とんでもないことに野心の為に殺したのかもしれませんが、そして、この野心家同士が結婚しました。

 まだ先王セルヴィウスが生きていた頃だったのですが、さすがに先王も気落ちしていたようです。

 気の強い王女トゥーリアにたきつけられた野心家のタルクィニウスは、ローマに住むエトルリア人を味方につけ、王セルヴィウスを元老院入口前の階段から投げ落としました。屈辱にさいなまれながら王セルヴィウスは宮殿に戻ると、タルクィニウスの刺客が剣を刺し、最後には父親のタルクィニウスに娘トゥーリアの乗った馬車が襲いかかりました。本当に親を殺したのです。

 タルクィニウスは王になり、トゥーリアは王妃になりました。すげー!

 もっとすごいのですが、先王派の元老院議員を殺し、市民集会や元老院の選出無しに王についたのです。

 さらにこの後に続くスキャンダルは有名になり、今年(2007年)の夏、東京都美術館で開催されたパルマ展の中にもこの話を題材にした「ルクレツィアの死」を描いた絵は一枚ではありませんでした。

《スキャンダル》

 王の息子セクトゥスは、親族コラヌスの妻ルクレツィアに横恋慕し、襲う。
 その夜のうちにルクレツィアはローマの父と、アルディアの戦場の夫の下に変事を知らせ、信頼できる者を連れてすぐ帰るようにと召使を出す。

 父ルクレティウスはヴァレリウスを、夫コラティスはユニウス・ブルータスを連れて帰る。

 四人の前で妻ルクレツィアは復讐を誓わせて短剣で自害する。

 ブルータスは遺体をフォロ・ロマーノに運び、蛮行の犠牲者を出してはならないと演説をする。
そして、王と王の一家全員をローマから追放することを市民に提案した。

 ローマ人の不満は爆発し、ブルータスの市民兵結集の呼びかけに応じた。

 王タルクィニウスは戦場のアルディアからローマに帰るが、ローマの城門は閉ざされていた。

 王は自分に従う兵とエトルリアのカエレを頼って去った。王妃トゥーリアはローマを逃げ出す。

 三人息子のうち二人は亡命し、父に同行する。

 犯人の息子は別の町に逃げ出したが、以前に侮辱した者の手で殺された。



 25年間の治世もこのようにして終わりました。


 このローマの建国以来の7人の王の時代も最後となり、244年間のローマ王制時代が終わったといわれます。

 この次は、ローマ共和政時代に入っていきます。


 
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by arrive_at | 2007-11-02 18:57 | イタリア  

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