「漢文の素養」から #1
2007年 07月 28日
もうすぐ梅雨明けですね。夏休みも始まって、元気な小学生が町にあふれているように思います。
そして、お勉強するとか言いながら、自分の宿題を引き伸ばしているのは誰だ~。「私だよ。」
「にしおかすみこ」をやっていないで、ちゃんとお勉強をしないといけません。
さて、「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?」という本ですが、加藤徹著 光文社新書です。この方はNHKの教養番組で春ぐらいに放送されていた、「漢文力」の先生でもあります。弁士のような格好で、まるで俳優のような見事な解説でした。
その方の本を、知り合いから勧められて読んだのですが、漢文を、そして日本語の生い立ちを知らない人には目から鱗のような本でした。私だけかもしれませんが…。
エントリをするに当たって、著作権の問題もありますので、抜粋と感想や簡単な内容紹介で書いていきたいと思います。
【漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?】
<はじめに>
「かつて漢文は、東洋のエスペラントであった。
漢文で筆談すれば、日本人も、中国人も、朝鮮人も、ベトナム人も、
意思疎通をすることができた。
また漢文は、語彙や文法が安定しているため、
千年単位の歳月の変動にも、あまり影響されない。」
出だしの4行の抜粋ですが、なるほど、さすがに中国紀元前に作られた漢字による文章が、東アジアでの共通の言語として通用していたとは驚きです。
「昔の植民地では、しばしば三層構造の言語文化が見られた。
上流知識階級は高位言語としての純正英語(ないしフランス語)を使い、
中流実務階級は現地化した英語を使用し、下層階級は民族の固有語を喋った。」
近代以前はどこの文明国も三層構造だったそうです。
上流知識階級 純正文語
中流実務階級 口語風にくずした変体文語
下層階級 文字の読み書きができぬ者が多かった
「高位言語は、伝統と権威のある古典語であり、叡智の宝庫であった。
その文法や語表現は洗練され、規範化され、国際語としても使われた。
東アジアでは漢文が、西欧ではラテン語が、インドでは梵語が、
中東では古典アラビア語が、チベットからモンゴルにかけては古典チベット語が、
それぞれ高位言語の地位を占めていた。」
そうだったのですか。私は無知でした。だって、歴史的な世界の文明文化をほとんど知りませんから、当時使われていた言語というものの種類も知りませんでした。イスラム文化圏のレベルの高さはヨーロッパが見習ったぐらいですから、その言語を知るということが文明文化に与えた影響は大きかったのでしょうね~。
「上流知識階級である公家(くげ)や寺家(じけ)、学者は、純正漢文の読み書きができた。
中流実務階級たる武家や百姓町人の上層は、日本語風にくずした変体漢文を交えた文体
『候文(そうろうぶん)』を常用した。
下級階層、たとえば長屋にすんでる『熊さん』『八っつぁん』は、無筆(むひつ)
(文字の読み書きができないこと)が多かった。」
杉田玄白は『解体新書』を純正漢文で書いたそうです。私たちが現代の義務教育で学ぶのは、昔で言う口語風の変体漢文でしょうか。当時のトップエリートとは純正漢文の習得が必須だったのですね。
「西欧諸国はフランス革命以降、日本は明治維新以降、 中国は辛亥革命以降に、
それぞれ、身分・階級を越えた『国語』を人工的に作り、それを権威あるものとして
従来の高位言語に代えるようになった。」
なるほど、明治維新を境に近代化した日本の国語ができたのですね。言い換えれば庶民に迎合したというのでしょうか。これで、漢文のレベルは確実に落ちていったのではないかと、ちょっと心配ですが…。
「日本、中国、朝鮮半島、ベトナムでも、それぞれ時期は相前後するものの、
純正漢文を使う上流知識階級は、二十世紀半ばまでに解体した。それとともに、
漢文も、東アジアの高位言語の地位からすべり落ちた。
漢字を全廃した地域----------------北朝鮮・ベトナム
漢字の全廃を予定していた地域----中国
漢字を極端に制限した地域---------韓国
漢字を簡略化して使っている地域---日本
漢字を無制限に使っている地域-----台湾・香港 」
それぞれの国が何故変化していったのか、日本は何故漢字を使っているのかを是非知りたいところです。
今日は「はじめに」というところの解説になってしまいましたが、本当に不思議の国ニッポンではなくて、不思議な漢字はどこから来たのかということを知りたいと思います。
そして、お勉強するとか言いながら、自分の宿題を引き伸ばしているのは誰だ~。「私だよ。」
「にしおかすみこ」をやっていないで、ちゃんとお勉強をしないといけません。
さて、「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?」という本ですが、加藤徹著 光文社新書です。この方はNHKの教養番組で春ぐらいに放送されていた、「漢文力」の先生でもあります。弁士のような格好で、まるで俳優のような見事な解説でした。
その方の本を、知り合いから勧められて読んだのですが、漢文を、そして日本語の生い立ちを知らない人には目から鱗のような本でした。私だけかもしれませんが…。
エントリをするに当たって、著作権の問題もありますので、抜粋と感想や簡単な内容紹介で書いていきたいと思います。
【漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?】
<はじめに>
「かつて漢文は、東洋のエスペラントであった。
漢文で筆談すれば、日本人も、中国人も、朝鮮人も、ベトナム人も、
意思疎通をすることができた。
また漢文は、語彙や文法が安定しているため、
千年単位の歳月の変動にも、あまり影響されない。」
出だしの4行の抜粋ですが、なるほど、さすがに中国紀元前に作られた漢字による文章が、東アジアでの共通の言語として通用していたとは驚きです。
「昔の植民地では、しばしば三層構造の言語文化が見られた。
上流知識階級は高位言語としての純正英語(ないしフランス語)を使い、
中流実務階級は現地化した英語を使用し、下層階級は民族の固有語を喋った。」
近代以前はどこの文明国も三層構造だったそうです。
上流知識階級 純正文語
中流実務階級 口語風にくずした変体文語
下層階級 文字の読み書きができぬ者が多かった
「高位言語は、伝統と権威のある古典語であり、叡智の宝庫であった。
その文法や語表現は洗練され、規範化され、国際語としても使われた。
東アジアでは漢文が、西欧ではラテン語が、インドでは梵語が、
中東では古典アラビア語が、チベットからモンゴルにかけては古典チベット語が、
それぞれ高位言語の地位を占めていた。」
そうだったのですか。私は無知でした。だって、歴史的な世界の文明文化をほとんど知りませんから、当時使われていた言語というものの種類も知りませんでした。イスラム文化圏のレベルの高さはヨーロッパが見習ったぐらいですから、その言語を知るということが文明文化に与えた影響は大きかったのでしょうね~。
「上流知識階級である公家(くげ)や寺家(じけ)、学者は、純正漢文の読み書きができた。
中流実務階級たる武家や百姓町人の上層は、日本語風にくずした変体漢文を交えた文体
『候文(そうろうぶん)』を常用した。
下級階層、たとえば長屋にすんでる『熊さん』『八っつぁん』は、無筆(むひつ)
(文字の読み書きができないこと)が多かった。」
杉田玄白は『解体新書』を純正漢文で書いたそうです。私たちが現代の義務教育で学ぶのは、昔で言う口語風の変体漢文でしょうか。当時のトップエリートとは純正漢文の習得が必須だったのですね。
「西欧諸国はフランス革命以降、日本は明治維新以降、 中国は辛亥革命以降に、
それぞれ、身分・階級を越えた『国語』を人工的に作り、それを権威あるものとして
従来の高位言語に代えるようになった。」
なるほど、明治維新を境に近代化した日本の国語ができたのですね。言い換えれば庶民に迎合したというのでしょうか。これで、漢文のレベルは確実に落ちていったのではないかと、ちょっと心配ですが…。
「日本、中国、朝鮮半島、ベトナムでも、それぞれ時期は相前後するものの、
純正漢文を使う上流知識階級は、二十世紀半ばまでに解体した。それとともに、
漢文も、東アジアの高位言語の地位からすべり落ちた。
漢字を全廃した地域----------------北朝鮮・ベトナム
漢字の全廃を予定していた地域----中国
漢字を極端に制限した地域---------韓国
漢字を簡略化して使っている地域---日本
漢字を無制限に使っている地域-----台湾・香港 」
それぞれの国が何故変化していったのか、日本は何故漢字を使っているのかを是非知りたいところです。
今日は「はじめに」というところの解説になってしまいましたが、本当に不思議の国ニッポンではなくて、不思議な漢字はどこから来たのかということを知りたいと思います。
by arrive_at
| 2007-07-28 00:53
| 漢文修業