冬のソナタ 第19話 父と子

 歴史の話をするといつもどうしてか年代が合わなくなってきます。私は、もともと歴史はど素人で苦手でもあり、どうしても検証作業や膨大な知識の整理というようなことは避けたくなります。資料も出来れば簡潔で面白くて見やすいものでないと目が拒絶してしまいます。もちろん頭はおやすみ状態に入ります。

 前回は韓国の儒教の影響について触れるつもりが、儒学が始まった時代の説明だけになりました。約2500年前に儒学が始まったといわれていますが、春秋時代紀元前770-403年と戦国時代は紀元前403-221年に春秋・戦国時代に孔子を始祖とする儒家が始まったそうです。これだけとっても、春秋時代の始まりで紀元前770年ですので、孔子が儒学を説いて、その後弟子達が論語などに編纂したという期間を考えても、200年ぐらいの違いがあります。紀元前の話は1世紀ぐらいの違いはザラでしょうか。もう、不勉強なうえに知識もあまりないので、何がなにやらです。

 そんな私に習字教室の先生は「論語」のプリントを渡し、これを勉強してきてと簡単におっしゃいました。何なんですか、これは。

 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えるといわれているそうです。その中の四書五経(ししょごきょう)といわれ、四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいうそうです。論語はこの九種の書物の一つだそうです。

 『子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。』
 『し、のたまはく、まなびてときにこれをならふ、また、よろこばしからずや。ともあり、えんぽうよりきたる、また、たのしからずや。ひと、しらずしてうらみず、また、くんしならずや。』
 『先生はこう言っていた。
学んだ後、実際に確かめたり、実践したりする。これは面白い事だね。はるばる遠方より親しい友が訪ねてくる。これは楽しい事だね。人に認められても認められなくても特に気にしない。これは立派だね。』
 (私、自分で調べてみました。)

 そのプリントはある幼稚園の教材だそうで、昨今の幼児教育は論語を何度も復誦するらしいのです。例えばこれですか。教材は独自のものらしいのですが、それを渡された若い親は、読み仮名もなく意味も分からず自分では読めなくて、習字の先生ならば読めるかと持ってきたものが私のところに回ってきました。本当に、論語さん、よくいらっしゃいましたという感じです。

 幼児教育はともかく、今の時代でも一般教養は社会ではよく使われ、たくさんの人が接しているところです。歴史も含めて何事も勉強ですね~。(いやんなりますが…)

 私はこの数週間前からある人にパソコンのソフトを利用する為の説明に出掛けています。さすがに年配の方なので会話も多岐にわたりますが、エジプトで暮らしていたという事もあり自然にエジプト文明の話も多くなります。

 アフリカといえば砂漠の話が出て、映画「アラビアのロレンス」の話になりました。これは砂漠が出てくる映画ではありますが、アラビア半島のネフド砂漠を横切るイギリス軍人の話です。アラブの首長とその部族がたくさんある中で、トルコ軍に支配されようとする現地の人々を助ける為にロレンスという人が活躍するのですが、メソポタミア文明とその子孫である人々の社会というものがよく描かれています。両文明は隣り合わせているものの、その歴史はやはり別であり、さらに近代を持ち込んだヨーロッパの世界の目線で出来た作品だと思います。

 その勉強会ではパソコンの話しはもちろんですが、普段は無縁の中近東やエジプトの話をすることが多いので、こちらも知識の収集に時間を割くようになります。大人が集まると、どうしてもサロンのようになりますので、それこそ一般常識がないと会話についていけません。まるで砂漠の真ん中に一人取り残されたようで、「待ってくれー、置いていかないでー」と叫ぶことになります。世間は広く、自分は無知だと痛感します。しんどいわ~。


 そんなこんなで週末も明け、このブログのエントリもあとわずかとなりました。この長い前置きはどうにかならないものかという気もしますが、流れできているのでどうにもなりません。ごめんなさい。






 さて、前回は「運命のいたずら」だったのですが、いよいよその謎も解かれ、二人の心の中は混乱と不安の中でとても苦しむことになります。



 ユジンはチュンサンに会いに行きますが、そこには母親のミヒがいます。ミヒはあくまでチュンサンのことを諦めるようにユジンに話します。

 ユジンはマルシアンに来てチュンサンに別れを切り出されます。しかし、ユジンにはその言葉が信じられません。

 疲れからチュンサンは寝込みますが、そこにジヌが訊ねてきます。部屋に迎え入れた時にチュンサンは倒れてしまいます。そのまま病院にチュンサンは運ばれますが、医者はチュンサンのことをジヌの息子と思って病状について話をします。ジヌは病院で検査を受けます。チュンサンとジヌが親子であるだろうと考えて調べたのです。

 回復したチュンサンはユジンと会うことにします。ユジンは会社を辞めてフランスに留学をすることを決心します。ユジンが設計したコストがかかりすぎて建設が不可能な家の模型を持って、チュンサンに会いに行きます。二人はこれから別々の道を歩むということを話し合い、模型をチュンサンに渡し、別れます。

 ジヌはチュンサンが自分の息子だという検査結果を医者から聞きます。すぐにミヒに会いに行き、ジヌは自分の息子だということを確認します。

 チュンサンは会社でまたもや倒れ、事故の後に現れた後遺症により、命に関わる状態だと医者に言われます。すぐにでも手術をしないと危険だと強く勧められます。

 ジヌはチュンサンを訪ね、本人に自分が父親だと名乗ります。ついにチュンサンと父親のジヌはお互いに知らなかった真実を知り、その過去の出来事や思い出が一瞬のうちに頭をよぎります。

 チュンサンは母親のミヒと話しをし、その理由を知ろうとします。ミヒは自分の人生において隠していた理由を話します。「ヒョンスの子だと思い込まないとあなたを育てられなかった」と息子に謝ります。

 


 母親の人生において、片思いと失恋、そして自分を愛してくれた人の子を身ごもるという出来事が、若過ぎた彼女の心のなかでこのような行動を取らせたのでしょう。

 それがいいか悪いかというよりも、そうして人は辛く悲しい人生を乗り越えたいうことが真実のようです。

 正に運命に翻弄されているチュンサンですが、それでもユジンもチュンサンも若く、そういった運命の中にいても自分の生きる道を切り拓いていかなければならないのでしょう。問題はこれから二人がどう生きていくかです。

 

 「アラビアのロレンス」の最後の方に、英雄であり苦悩に満ちたロレンスにアラブの王とイギリスの政治家が言います。「君は潔癖だ。若い人は改革を求め立ち向かっていけることが羨ましい。」「これからは私達に任せてくれ。平和は老人に似て醜い。腹の探りあいだ。」というようなことをいいます。

 結果として大人の世界は醜く、そして若い人たちは純粋であり、苦悩に満ちているのでしょうね。

 

 

 
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by arrive_at | 2007-02-05 08:47 | 冬のソナタ 2007  

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