冬のソナタ 第12話 10年前の真実
2007年 01月 24日
冬ソナを見終わって、すぐに上野公園に出かけました。
現在、東京国立博物館では「悠久の美-中国国家博物館名品展」が開催されています。新石器時代は紀元前4500年頃、陶器の彩陶瓶(さいとうびん)や玉石でできた玉龍などがあります。二里頭文化・商時代には紀元前16世紀の方鼎(かなえ・てい)、鉞(まさかり・えつ)などの青銅のものが出ています。
この展覧会には一つも仏像がありません。ブッダは紀元前400年頃から紀元前480年頃に実在したそうです。ブッダの死後およそ5~600年過ぎたころから仏像が作られるようになりました。その間は無仏像時代といわれています。中国の仏像はインドのものを真似ているので、3~4世紀ごろに仏教自体よりも遅れて仏像が作られたといわれています。今回の展覧会は仏教よりもはるか前ですから、黄河文明についてよくわかると思います。
私が自分で仏像に興味があるとわかったのは韓国のキョンジュにある石窟庵(ソックラム)の仏像を見てからです。新羅仏教美術の最高峰といわれ、石窟寺院として石を積み重ねた部屋の中に美しい容姿の仏像がありました。日本の大仏殿のどってりした仏様とは違い、釈迦如来像はすっきりした顔立ちと首から肩にかけての美しいラインは中性的というか、要するに日本のよりハンサムという感じです(ちょっと思い込み満載です)。もちろん世界遺産です。
慶洲国立博物館では、「半跏思惟像(はんかしいぞう)」がありましたが、これは京都の「広隆寺」のとよく似ていて、朝鮮から渡ってきたといわれているそうですが、たいへん美しい像です。どうも日本に渡ってきてから作られた仏像は不細工という感じでしょうか。仏様すみません。
中国も朝鮮も日本も同祖同根とよく言われますが、歴史からいくと3万年前まで大陸がくっついていたころから行き来があり、その後日本列島は大陸との間に亀裂が入ったそうで、6千年前ぐらいに日本海が広がり今のような地形になったたようです。国の歴史は紀元1世紀ぐらいからだそうで、それまでは国土などの意識はなかったようです。
現在は「近くても他人」のようなアジアですが、「悠久(永遠)の美」を誇るアジアの品々は今でも言葉少なに私達に何かを伝えようとしているのでしょうか。
なが~い前置きになりました。ごめんなさい。
過去の時代は謎に包まれ、考古学者や歴史研究家などが一生懸命に真実を見つけようと苦労しています。
さて、ミニョンも過去の真実を探す為にかなり苦労しているようです。はたして隠された真実は暴いていいものなのでしょうか。ちょっと心配です。
ミニョンにタクシーをとめてもらってユジンは帰りますが、二人は何も会話をしませんでした。お互いに距離を置くように努めているようです。
ミニョンはキム次長と酒を飲んでいるときに精神科の治療方法としてセラピーを受けることを勧められますが、心のひどい傷を受けた時に催眠療法として新しい記憶を植えつけるという方法があることを知ります。ミニョンは自分がピアノを弾いたことがないのに手が勝手に弾きはじめたことを思い出し、自分が昔のことを覚えていないことに疑問を感じます。
サンヒョクとユジンはチュンチョンのユジンの父親の墓参りに行きます。その日は父親の誕生日で墓には誰かが墓参りをしていました。
カン・ミヒは今でも誕生日は忘れることができないと墓に話しかけます。「あなたを許せない」と謎の言葉を言います。ミヒはユジンの父親を良く知っているようです。
カン・ミヒがミニョンの母親だということを知ったサンヒョクは母校でチュンサンの生徒名簿を調べます。しかし、その前に誰かが調べに来ていました。
ミニョンはチュンサンのことを調べ、チュンサンが高校時代に住んでいた住所を訪ね、その家にいきます。覚えのない家ですが、そこにミヒが現れました。
ミヒはその家を飛び出していくミニョンを追いかけますが、とてもつらそうな表情になります。
ミニョンは湖に行きますが偶然にユジンと出会います。
「ユジンさん、僕、変ですよね。本当に変なんです。」
「もしも、僕が…」
ミヒの写真がチュンサン家にあったことに疑問を持ち、「僕は誰なんだ」とミヒを問い詰めます。「僕がチュンサンだっていうの?」
ミニョンはアン医師に会い、湖で溺れた後記憶をなくし、母親のたっての願いでイ・ミニョンとしての記憶を植えつけたことを知ります。そして、チュンサンの家で高校時代のチュンサンの写真を見つけ考え込みます。
ヨングク、チンスク、チェリン、サンヒョクが集まった席でミニョンはチュンサンの葬式に誰か行ったのかとききます。みんなはその当時のことを思い出して、チュンサンが本当に死んだかどうかを疑問に思います。
その場を出たミニョンは外でユジンに会います。
「僕は誰なんです。言ってください。ユジンさん、僕はチュンサンです。」
いよいよミニョンは自分の過去の断片を一つ一つ拾い始め、それはジグソーパズルをはめていくような、そんな状況になってきました。
現在、東京国立博物館では「悠久の美-中国国家博物館名品展」が開催されています。新石器時代は紀元前4500年頃、陶器の彩陶瓶(さいとうびん)や玉石でできた玉龍などがあります。二里頭文化・商時代には紀元前16世紀の方鼎(かなえ・てい)、鉞(まさかり・えつ)などの青銅のものが出ています。
この展覧会には一つも仏像がありません。ブッダは紀元前400年頃から紀元前480年頃に実在したそうです。ブッダの死後およそ5~600年過ぎたころから仏像が作られるようになりました。その間は無仏像時代といわれています。中国の仏像はインドのものを真似ているので、3~4世紀ごろに仏教自体よりも遅れて仏像が作られたといわれています。今回の展覧会は仏教よりもはるか前ですから、黄河文明についてよくわかると思います。
私が自分で仏像に興味があるとわかったのは韓国のキョンジュにある石窟庵(ソックラム)の仏像を見てからです。新羅仏教美術の最高峰といわれ、石窟寺院として石を積み重ねた部屋の中に美しい容姿の仏像がありました。日本の大仏殿のどってりした仏様とは違い、釈迦如来像はすっきりした顔立ちと首から肩にかけての美しいラインは中性的というか、要するに日本のよりハンサムという感じです(ちょっと思い込み満載です)。もちろん世界遺産です。
慶洲国立博物館では、「半跏思惟像(はんかしいぞう)」がありましたが、これは京都の「広隆寺」のとよく似ていて、朝鮮から渡ってきたといわれているそうですが、たいへん美しい像です。どうも日本に渡ってきてから作られた仏像は不細工という感じでしょうか。仏様すみません。
中国も朝鮮も日本も同祖同根とよく言われますが、歴史からいくと3万年前まで大陸がくっついていたころから行き来があり、その後日本列島は大陸との間に亀裂が入ったそうで、6千年前ぐらいに日本海が広がり今のような地形になったたようです。国の歴史は紀元1世紀ぐらいからだそうで、それまでは国土などの意識はなかったようです。
現在は「近くても他人」のようなアジアですが、「悠久(永遠)の美」を誇るアジアの品々は今でも言葉少なに私達に何かを伝えようとしているのでしょうか。
なが~い前置きになりました。ごめんなさい。
過去の時代は謎に包まれ、考古学者や歴史研究家などが一生懸命に真実を見つけようと苦労しています。
さて、ミニョンも過去の真実を探す為にかなり苦労しているようです。はたして隠された真実は暴いていいものなのでしょうか。ちょっと心配です。
ミニョンにタクシーをとめてもらってユジンは帰りますが、二人は何も会話をしませんでした。お互いに距離を置くように努めているようです。
ミニョンはキム次長と酒を飲んでいるときに精神科の治療方法としてセラピーを受けることを勧められますが、心のひどい傷を受けた時に催眠療法として新しい記憶を植えつけるという方法があることを知ります。ミニョンは自分がピアノを弾いたことがないのに手が勝手に弾きはじめたことを思い出し、自分が昔のことを覚えていないことに疑問を感じます。
サンヒョクとユジンはチュンチョンのユジンの父親の墓参りに行きます。その日は父親の誕生日で墓には誰かが墓参りをしていました。
カン・ミヒは今でも誕生日は忘れることができないと墓に話しかけます。「あなたを許せない」と謎の言葉を言います。ミヒはユジンの父親を良く知っているようです。
カン・ミヒがミニョンの母親だということを知ったサンヒョクは母校でチュンサンの生徒名簿を調べます。しかし、その前に誰かが調べに来ていました。
ミニョンはチュンサンのことを調べ、チュンサンが高校時代に住んでいた住所を訪ね、その家にいきます。覚えのない家ですが、そこにミヒが現れました。
ミヒはその家を飛び出していくミニョンを追いかけますが、とてもつらそうな表情になります。
ミニョンは湖に行きますが偶然にユジンと出会います。
「ユジンさん、僕、変ですよね。本当に変なんです。」
「もしも、僕が…」
ミヒの写真がチュンサン家にあったことに疑問を持ち、「僕は誰なんだ」とミヒを問い詰めます。「僕がチュンサンだっていうの?」
ミニョンはアン医師に会い、湖で溺れた後記憶をなくし、母親のたっての願いでイ・ミニョンとしての記憶を植えつけたことを知ります。そして、チュンサンの家で高校時代のチュンサンの写真を見つけ考え込みます。
ヨングク、チンスク、チェリン、サンヒョクが集まった席でミニョンはチュンサンの葬式に誰か行ったのかとききます。みんなはその当時のことを思い出して、チュンサンが本当に死んだかどうかを疑問に思います。
その場を出たミニョンは外でユジンに会います。
「僕は誰なんです。言ってください。ユジンさん、僕はチュンサンです。」
いよいよミニョンは自分の過去の断片を一つ一つ拾い始め、それはジグソーパズルをはめていくような、そんな状況になってきました。
by arrive_at
| 2007-01-24 21:37
| 冬のソナタ 2007