プチブルジョワは小市民のこと

 19世紀末のベル・エポック、そして20世紀前半のエコール・ド・パリとパリの華やかな文化がアメリカ特にニューヨークに移って行った頃の様子がだんだんとわかってきました。

 やはり英国の産業革命以降の近代化から現代にいたるまでの変化は、たいへん興味がありますし、もっと勉強したいなあと思わせるところです。

 ブルジョワという言葉がフランスではよく使われますが、日本でも身分制度のあった時代、そしてそれが廃止された今でも人々の心にはまだまだ階級制度の偏見が無くなっているとは思えません。安田財閥の孫がオノ・ヨーコだとか、まだまだそういった見方をしてしまうという、人間はヒエラルキーには弱いようです。


 途中ですが、後半17分以降ベルバトフやギブソン投入も全然ゴールが決まりません。ゲームのほうはかなり緊迫していますが、見ているほうはだらけてしまって、もう、マンUは必死でルーニーなどはディフェンスしていたりしますが、どうも今日はゴールしないような気がします。せめて1ゴール決めてドローであってほしいところですが。

 ロスタイムにはヴィヂッチにゴール前に入れというファーガソンの指令ですが、近頃はMFがDFへ、DFがFWへといろいろと非常事態宣言を出しているような感じです。それはそうと、ベルバトフが床屋で髪を切ったのはなかなか男前になった感じがします。それくらいしか今日は見所が無いというか…。

 あ~あ、マンUは負けました~。ファンも呆然としていますが、ここはアストンヴィラの好試合をほめるべきでしょう。またもやチェルシーとの差が3に広がりましたね。










 


 話は元に戻って、今の日本の状態はどうかなとと考えますと、第2次世界大戦後64年が経っていますが、その間に戦争は無いし、他国からの侵入もないし、せいぜい経済危機が何度か訪れては持ち直して、国民全体は生活が豊かになり、衛生状態は良くなり、治安は何事もなくピストルなど持たなくても生活できますし、教育水準は理想的なほど上昇しています。

 これをブルジョワ化と言わずして何と呼ぶのでしょうか。

 しかもヨーロッパのような貴族というものを知らない小市民ですから、経済の発展により生活が豊かにはなりましたが、自立した生活思想など知る由もなく、とにかくお金に振り回され、大消費時代に乗せられて生き方も生活の質も商業主義に騙されながら消費が拡大してきたと思います。

 今の中国の成金市民の行動に似たところでしょうか。それのどこが悪いと言われたら何も言えませんが、それでもそのプチブルへと走る行動力は実質的な生活の向上と社会秩序がゆるむという、緊張感も精神も価値が無くなっていくような時代ではないかと思います。物資の豊富さなどは人間を考えさせなくなりますから、それこそアイデアもでなくなり情熱を持って追究するというような面倒くさいことを誰もしなくなります。

 切り開いて行くという余地が無くなっていくのでしょうか。なんだか、恵まれた状況がもたらすマイナス面が広がってしまって、足るを知るというような「知足」という英知にも気付かないのでしょうね。

 誰かがこれは良いと言う。それをよく考えずにそのまま鵜呑みにする。隣人と自分を見比べて同じでないと安心しない。そんな小市民が堂々と反省もないままにつき進んでいくという、1億総白痴とか言われたとしてもなんだかうなずけるような気がします。


 

1億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一がテレビの急速な普及を背景に生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いが強い。

元々は、1957(昭和32)年2月2日号の「週刊東京」(その後廃刊)における、以下の詞が広まった物である。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言ってよい。

又、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。ここでも、作家の松本清張が、「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べている。

このように、当時の識者たちは、テレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には、書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと考えられる。

書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、その為には文字が読めなければならないし、内容を理解する為に自分の頭の中で、様々な想像や思考を凝らさねばならない。

これに対して、テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れて来る音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考力を低下させるといった事を指摘しているようである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






 要するにものが分かる人は少なく、わからない人が社会の流れを作る要素が大きく、さらにわからない人がそれは正しいと信じて疑わないので、それを逸脱する人を落ちこぼれなどと差別するという感じでしょうか。

 隣もそのまた隣も自分と同じということのつまらなさ、それに気づかないセンスのなさ、自己の認識と自分でその価値を決めることのできる力、そういうことが大事だと思って実践する人は少ないのでしょう。

 受験勉強だけで人生の質も含めてすべてが決まると思ったらそれは違うでしょう。人間には生きる感性が大きく影響しますから、その感性を裏付けるためにも論理的に思想的な説明をすることができるくらい日常を拡大して観察し、理解することが大事かもしれません。

 まあ、TVですべてがわかるなんて思わないことですか~。

 ニュースとスポーツ中継だけは注目しますが。
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by arrive_at | 2009-12-13 10:41 | パリに行こう  

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